音の記憶(全8回) <2> 敢闘賞 - 2002年09月26日(木) 今の生活にも欠点はないわけではない。 気をつけないと、すぐにブレーカーが落ちてしまうのだ。 引っ越して間もない時は何度も失敗していた。 今ではもう慣れたもので、滅多に失敗することはなくなってほっとしている。 本当に無音になるのは嫌なのだ。 一瞬にして無音になるとき、まるで地球が自転をやめてしまったように感じるし、 もし、その時に外へ出れば、なにもかもが止まっているだろうと思えた。 太陽はもう二度と東の空から昇ることはないだろうし、鳥は空中で静止し続けるだろうし、 首都高は大渋滞でもう車で走ることは出来ないだろうし、 食道の途中の松坂牛は消化されることはないだろうし、 めくれてふとももがあらわになった女子高生のスカートの裾は無防備なままだろう。 そんなことを想像してしまう。 とにかく、一瞬でも音が消えてしまうということは恐ろしい。 いや、本当は太陽や鳥や松坂牛や女子高生のスカートの裾はどうでもよくて、 音楽を聴くことができなくなるということが、とてつもない絶望感を僕に与えるのだった。 それはあの4人の食卓を思い出させてしまうからだ。 空気が尖っていて、常に刃物を喉元に突きつけられているような嫌悪感。 合うことのない目線。無言の罵声。価値をなくした声帯。 そこには家族なんていう言葉は当てはまらず、 かたくなまでな排他的なオーラと切ない程相手を求めているように伸ばした手が 見えるような気がして苦しかった。 小学校低学年の頃はTVの音やとりとめもない会話や笑い声で満たされていたのに、 高学年になる頃には笑い声が消え、 中学校に入るととりとめもない会話も消えた。 そして、いつの頃からかTVの音も消えた。 みそ汁をすする音やつけものを噛む音が空しく響いて、 次の瞬間には僕一人で食卓(と一般的に称される場所)に座っていた。 お互いの行き場を失くした感情が激しくぶつかり合い、反発し合い、 それが醜いまでの不協和音となって家中に響いていた。 僕はこの家にいるのが嫌で、もっともらしい理由をつけて都内の大学に進学した。 正直、どこの大学でもよかったのだ。 あの家、あの食卓から逃れられればどうでもよかった。 一昨日、その大学が夏休みに入った。 夏休みに入る頃に、親から帰ってこいと決まって電話がくる。 いつもうるさくて、結局一週間くらい実家に行くことにしている。 そして一週間後、もっともらしい理由をつけて帰京する。 おかげで、全国もっともらしい理由つけ大会に出場すれば、 敢闘賞くらいもらえるんじゃないかと思う。 賞金10万円くらいもらえれば文句はない。欲しいCDは山ほどあるのだ。 生活費は自分のバイトでまかなっていて、 CDはその余りから少しずつ買い足しているので、もう結構な枚数になった。 50枚までは数えていたけれど、その後はどうでもよくなった。 問題は数ではないと気づいたからだ。 たしかあれから何枚か買ったから、53,4枚といったところかな。 僕はそのコレクションの中から10枚を選んでバックにつめて、新幹線に乗り込んだ。 ...
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