音の記憶(全8回) <3> 野戦病院 - 2002年09月27日(金) 玄関に入ると母親が飛び出してきて、いきなり帰ってきたことにびっくりしていたが、 体調はどうだ、食事はとっているのかとしつこく聞かれた。 僕は適当に返事をして靴を脱いだ。 両親は僕が小学校一年生のときにこの一戸建ての家を購入した。 はじめてこの家に足を踏み入れたときに、 強烈な化学薬品のような臭いが鼻を突いたのを覚えている。 よくわからない素材の壁で木の匂いなんてしないし、青臭い畳の匂いもしない。 これから毎日こんな空気の中で生活するのかと思うと気が重くなったし、 15年経った今でも未だに鼻の頭がムズムズしてしまうのは、 この家での(食卓での)良い思い出がまったくないからだと思っている。 とりあえず居間に向かうと、 小学校から変わらない同じ場所に同じ座り方で、父親が座っていた。 ただ昔に比べて小さく見えるのは気のせいだろうか。 三人そろうと、一気に険悪な空気に変わる。 会話のないまま数分が過ぎた頃、母親が 「ちょっと夕飯の買い物してきます。」とちょっと遠慮気味に言って出かけた。 まるでこの場から逃げ出そうとしているみたいだった。 父親は母親が出て行ったことを確認すると、ゆっくりと話し始めた。 大学はちゃんと行っているか、就職はどうするんだとか、そういうことだ。 とても事務的に聞こえた。聞かなければならないといった義務的な口調だった。 なぜか必死になっているのがわかった。父親の威厳でも保とうとしているのだろうか。 適当に返事をして、2階の自分の部屋へあがった。 全国適当な返事大会があれば、県代表くらいにはなれるかもしれない。 適当な返事はもっともらしい理由に比べて、自信はない。 父親であれ母親であれ、一対一で話をすればとりわけ話ができない関係ではない。 仲がいいとまではいかなくても、一言二言話をするのには支障はなかった。 それが家族(食卓を囲む)という形をとった時に、突然変異してしまうのだ。 父親と母親だけのとき、二人はそれなりにうまくやっているのだろうか。 そう思いたくなかった。 弟は5つ下で、地元では一番頭のいい高校に通っている。 ちなみに僕はこの高校に落ちた。 土曜日の今日も、塾に行っているらしい。 弟と話をしなくなってどれくらい経つだろうか。 僕が中学に入った頃にはもう会話もなかった気がする。 彼には僕と違って人気があり友達がいる。 自分の部屋のドアを開けて中に入ると、 その光景は高校生の頃とまったく変わっていなかった。 机の位置もベッドの位置もあの頃のままだ。 あの机に向かいながらこの家から逃げる計画を練っていたし、 あのベッドに横になってクラシックを聴いていた。 高校2年生のときにお小遣いを貯めて買ったCDラジカセもあの頃と同じ場所にあった。 母親が毎日掃除しているおかげで、この部屋にはほこりというものが存在しない。 「あなたがいつても帰ってこられるようにしておくからね」と、 都内のアパートに引っ越す日に、母親がまるで内緒話をするかのように耳元で囁いた。 何を言っているんだろうと思った。僕はこの家から逃げようとしているのだ。 もう二度とここに戻る気もない。 帰る意思のない主人を待つ、埃ひとつない時の流れない部屋。 それが「僕の部屋」だった。 例えこの部屋が「僕の部屋」であったとしても、この家の一部にしかすぎない。 それは戦場の野戦病院みたいなもので、 医者がいて、薬があって、一時の休息をとれたとしても、そこはやはり戦場なのだ。 「僕はここにいるべきじゃない。」と思った。 こんな危険なところにいたら、いつ流れ弾に当たるかわかったもんじゃない。 そんなのはごめんだ。 急所に当たって即死ならまだしも、運悪く(?)ずれてしまったりしたら最悪だ。 自分から流れるどす黒い血を見なくてはいけないし、 きっと僕を置いて逃げる仲間を憎むと思うし、 徐々に末端がしびれてきて意識が遠くなりなりながら、 これでもかと頭の上を飛び交う銃弾を見なくてはならない。 空腹感と痛みと絶望感に押しつぶされながら死んでいく。 それで化学薬品の匂いがするのだから救いようがない。 ここから逃げることが先決だ。 遠くに逃げよう。追ってくる気にならないところまで逃げなくては。 ...
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