風の行方...深真珠

 

 

音の記憶(全8回) <6> 北斗七星 - 2002年09月30日(月)

遠くからなにか近づいてくる気配がする。
なんだろう・・・音だ。何の音だろう。
目を閉じて音に集中する・・・波だ。波の音だ。
僕の足は自然と波の音のするほうへ向いていた。
波の音を、まるで大切なガラスの置物を移動させる時のように、
慎重にゆっくりたぐり寄せながら道なりに歩いた。
しばらく歩くと脇道があって、そこを曲がるとすぐに砂浜にでた。
夜だったせいで細かいところまでは見えなかったが、結構小さな砂浜だとわかった。
風が割と強くて潮の香りもした。遠くにはいくつか光が見える。
灯台や船だと思える灯もあった。
黒い海が見渡す限り広がっていて、海平線が海と空を頼りなく区切っていた。
そして黒い海を覆うように星が広がっていた。
この周辺には強い光もないし、雲もほとんどないおかげで、
数え切れない程の星がそこにはあった。
「こんなにも星ってあったんだなぁ」
星の知識がなくても星の奇怪で美しい配列を見ているだけで楽しかったし、
唯一知っていた北斗七星を発見できたときの喜びは不思議なくらい純粋なもので、
さっきまであんなに夜空を嫌っていたのが嘘みたいだった。
夜は僕を引きずり込もうなんてしていなかった。
ただそこに存在しているだけで、
僕さえ目を開け耳を傾ければいつでも受け入れてくれるものだったのだ。
「なんという誤解をしていたんだろうか。今までなんでそれができなかったんだろう。」
確か小さい頃に、北斗七星を教えてくれたのは父親だった気がする。
遠くまで続く広い海、綺麗に輝く星たち、心地よい風、新鮮な潮の香り、
そして、静かに寄せる波の音。今でははっきり聞き取れる。
波が起こした振動は、両方の鼓膜を一定のリズムで揺らし続ける。
僕はそれを素直に信号に変換して脳へ送り、音を音として認識することが出来る。
音もちゃんとそこにあったのだ。
こんなに気持ちのいい素敵な音がちゃんとそこにあったのだ。
そして、それはすべて僕が無音の世界と言い続けてきた世界に存在していた。
自分自身で無音の世界というものを作り出していたんだとわかった。
「家に帰ろう。きっとあの食卓にも音はあるはずだ。」
車を停めた休憩所に戻ると、そこにも波の音も潮の香りも十分すぎるくらい届いていた。
車に乗り込んでキーをまわすとエンジンがかかった。
「これで家に帰れる。」
心がドキドキし始めたのが分かった。
さっき家を出たときのテンションとは明らかに違う。
なんとなく窓を開けて外の音を拾うことにした。
大抵は車のエンジン音ばかりだったが、それでも楽しかった。
すべてが新しい音のように聞こえた。
街中で交差点での停車中に、
どこかの酔っ払っいの陽気な声が車の中まで響いた時は、思わず笑ってしまった。
ふと空を見上げると、ほとんどの星が見えなくなっていた。
四方八方はコンクリートだらけだったし、潮の香りなんてするわけはなかったけど、
今の僕にはすべて許せる気がした。


...




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