音の記憶(全8回) <7> ペンギン - 2002年10月01日(火) 家につくと母親が飛び出てきて安心したような顔を見せた。 「夕飯まだでしょ?すぐ準備するから」 父親も弟も起きていて居間にいて、 父親はゴルフクラブを磨いていたし、弟はTVゲームをやっていた。 時計を見ると、針は秒針の音を鳴らしながら夜中の3時を少し回ったところを指していた。 僕の予想に反して、食卓はいつもどおりだった。 いつもより7〜8時間程遅いことを除けば、TVの音もなく、会話もなく、 4人の食物を噛み砕く音と時を刻む秒針の音だけが虚しく響いていた。 みんな下を向いてもくもくと食べている。 お互いの顔を見る余裕すらないようだった。 「ここはやはり何も変わらなかった。何かを期待した僕が馬鹿だったんだ。 でも、この人たちは一体なにを抱えて生きてるんだろう。」 僕には何もわからなかった。 もう考えることがいやになって、TVをつけ、チャンネルを回した。 どの局もすでに放送を終えていたが、 一局だけペンギン生態を追った番組を流していた。 ペンギンが餌を食べたり、泳いでいる姿は妙にかわいかった。 場所はアラスカらしい。 僕はアラスカの夜を想像してみた。 寒さは到底想像することができなかったが、空一面に広がる星たちと、 ペンギンが海に飛び込む時の音は、なんとなく思い描くことが出来た。 そういえば、ペンギンは鳴くのだろうか。鳴くとしたらどういう声なのだろうか。 僕には何もわからなかった。 「いつかアラスカ行ってみたいな。」と思いながらTVを消して、 また食事をはじめようとした時に、ふと人の視線を感じた。 顔を上げると両親がびっくりした表情で僕を見ていた。 顔に何かついているのかと頬のあたりに触れてみたが、何もついていなかった。 「二人してどうしたの?」 「い、いや・・・、て、テレビつけても、大丈夫、なのか?」と父親がきまずそうに言った。 「はぁ?いいに決まってるじゃん。」よく意味がわからなかった。 「だって、食事中は静かにって言ったのはお前じゃないか。」 「いつ?」 「お前が小学校6年の時だよ。忘れたのかい?」 と母親は今にも泣きそうな顔をしている。 弟は下を向いたまま顔をあげようとしない。 状況がまったく飲み込めない。 3人して僕をだまそうとしているのだろうか? 本当に僕がテレビを消せと言ったのか。 消えていたパズルのピースがゆっくりと、それでも確実に見つかっていく気がした。 そうだった。僕の前で笑うなと言ったのも、食事中話をするなと言ったのも、 TVを消せと言ったのも僕だった。 言うことを聞かない時には手を上げたり物を投げたりしていると、 次第に誰も僕の言うことに反抗しなくなった。 こうして僕は無音の世界を作りだしていたのだ。そして、その世界を心底嫌った。 小学6年生の時、半ば強引に中学受験をさせようとした親に対して、 こっちも無音の世界を強要した。 殴り返せない親を馬鹿にして、家族の思い出の品を破壊しまくった。 中学受験は失敗し、公立の中学に入るとそれをネタにいじめられた。 「調子に乗るな。このバカが。」それは、理不尽極まりない理由だった。 僕はすべてを親のせいにした。そして、無音の世界のことも親になすりつけた。 「すべては親が悪い。」 結局、家族を力ずくでねじ伏せ、あの食卓を作り出していたのは僕自身だった。 親のせいにした瞬間から、僕はすべてを忘れていた。 いや、忘れていたというより故意に隠してしまっていたのだ。 自分の非を棚に上げて、悲劇のヒロインを演じていた。 「なんて僕は家族に恵まれてないんだろう。」 すべてを受け入れた今、本当の事実に愕然とした。 そして、家族に申し訳ない気持ちで一杯になった。 勝手に涙が溢れてきたが、もうこらえることはないんだと思った。 4人とも泣いていた。 顔をぐちゃぐちゃにしながら泣いていた。 3人の僕への憎しみを感じ取ることはできなかった。 それぞれがそれぞれの思いを秘めて、 それぞれがそれぞれの痛みを長い間持ち続けていた。 今、この食卓を囲んでいるのはまさに家族という絆だった。 一週間の帰郷の予定は一ヶ月にまで延びた。 食卓にはTVの音が聞こえるようになったし、 まだぎこちないながらもとりとめもない話や笑い声も戻ってきた。 この一ヶ月の内に家族4人で、2度外食した。回転寿司と焼肉だった。 回転寿司では4人で68皿たいらげたし、 焼肉では4人で1万2千円分食べつくした。 僕はタン塩ばかり食べたし、弟は甘エビばかり食べていた。 父親はビールをおいしそうに飲んだし、母親は3人をうれしそうに見ていた。 7,8年ぶりの外食だった。 今はまだ未熟で不安定な関係だけど、これからは確実に良いほうに進めるだろう。 きっと・・・。 ...
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