死神の微笑み <9> - 2003年03月14日(金) 車の中も暖かかくて快適だった。 車の中にいると、ここは初冬の新潟だということをすっかり忘れてしまう。 運転手は薄着に見えて、それが余計に僕の皮膚感覚を狂わせた。 街中で見かけたおばあさんが、ずいぶん着込んでいるのを見て、外は寒いんだと思った。 運転手は常に何かをしゃべり続けていたが、僕は窓の外の景色を見ていた。 時折、「君もそう思わない?」とこっちを振り返って言うので、その都度、 「そうですね。僕もそう思いますよ。」と気のない返事をすると、 「そうですよね。まったく連中は市民のことなんて考えちゃいないんだ。まったく・・・」と満足げに前を向いて、またブツブツ言っていた。 どうやら、行政に対して愚痴っているようだった。 こういうのを、空気は吸ってくれているのだろうかと、笑顔の素敵な駅員の話を思い出した。 −夜の間に浄化された空気− 窓の外を流れていく景色は、僕の実家付近の風景とそう変わらなかった。 空だけではなくて、街全体が紅く色づき始めていた。 夕日を見ると、小さい頃、田舎に程近い海で見ていた紅い海を思い出す。 僕はその景色が好きで、よく自転車で海が見える小高い丘まで行っては、海が黒に変わるまで見とれていた。 田舎の両親には、サークルで合宿があるからしばらく連絡がとれないと嘘をついた。 父親は農機具の営業をやっていて、母親はみかんの加工工場でパートをしている。 僕は一人っ子で何不自由なく育てられた。 いじめられることもなく、友達も少ないと思ったことはない。 高校2年生になる頃に彼女が出来たし、3年の時には初体験も終えた。(このへんは、田舎にしては「進んで」いたのかもしれない) でも、僕が妙な違和感を感じ始めたのは、確か高2の秋だった気がする。 何かショッキングな出来事があったわけではない。 得体の知れない違和感は、ゆっくりと足音を立てずに僕に近づいてきていたのだ。 僕がある日ふと気づいたときには、もう真横にいた。 その頃は、大学受験のおかげでその「違和感」について追求することもなかったのだが、 大阪にある大学に入ると、日に日に「違和感」について考える時間が増えていった。 「違和感」は一日一日確実に僕に近づいていて、それは高2のときより更に僕に近いところにあるのがわかった。 それが分かると同時に、「違和感」の影を見ることが出来た気がしたのだった。 結局は、僕の今までの人生には不満をいうようなところは何もないが、決定的に「何か」が足りていないのだろうということだ。 一体僕には何が足りていないのだろうか。それを見つけることが大学での僕の命題のようなものになっていた。 両親は仲良く、友達もいたし、いじめもうけず、欲しいものはほとんど買ってもらえ、恋愛もそれなりにやってきた。大学にだって通ってる。 それで何が足りないのかまったく分からなかった。 足りないものなどあるはずがなかった。 でも、決定的に「何か」が足りていなかった。決定的に。 一体いつまで続くねん!って感じなんだけど、まだまだ序章といったところです。 昨夜はちょっと嫌な夢見ました。 野球やってて、人が死んで、血が出て、僕が叫んでました。 死んでいた人の顔が忘れられない。 なんか映画「リング」で、もがき苦しんだような顔でした。 はぁ、なんでそこだけ強烈に覚えてるんだろ。 戦争は反対だけど、アメリカには賛成する。 日本も難しいねぇ。 ...
|
|