「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年07月11日(日) |
選挙記念日 動き始めた心 |
今日「2004年7月11日」は、私の歴史の中でとても意味深い日となりました。私が一人の人間としての意識を持ち、ほんの少しではありますが、政治というものに関心を持った視線で選挙投票をした日。私は社会のことに関する知識は本当にまだ少ないけれど、何しろ一人の人として政治に参加する権利を使えたことがとても嬉しいのです。まるで生まれて初めて選挙に出かけた心境なのでありました。
選挙会場までの散歩の道のり、近くの幼稚園の園庭の端っこにはローズマリーがぎっしりと植えられていて、その中に小さくて白い花がかわいらしく咲いていました。「これはローズマリーかな?」と、自分の鼻を近づけてみると・・確かに今を生きる私の記憶の中にあるローズマリーと同じ香がして、何だか嬉しくなりました。
両サイドを仕切られた投票机の中に入ると、そこはとても神聖な場所のように思えました。さてさてその場所で何を書いたかというと・・・ここは秘密です。静かに投票を終えた私に手渡されたものは日付が書かれた「投票済証」でした。管理の為に作られたものなのだろうとは思いますが、私には今日という日、私が“私自身”として生き社会の動きに参加した証のように思えました。
夕方蜂の巣退治をしました。これがものすごいスリル満点で・・。どういう風にやるかというと、頭に帽子、その上に白い洗濯ネット、身体には白い雨がっぱと緑のゴム手袋をして、それぞれ出口をしっかり塞ぎます。間違っても体の中に蜂が入ってこないように防御するのです。それから氷で冷たく冷やした水を霧吹きに入れて、いざ出陣。 (蜂の巣退治スタイル) 生身のいきものである私が、生身のいきものである「蜂の家」を撃退しに行くのですから、真暗なお化け屋敷に入るよりも数段楽しめる一大イベントだったのです。蜂の巣に霧吹きで水をかけると蜂が逃げていきますが、途中で引き返してくる蜂も居るので、自分の傍に蜂が寄ってきたら急いで蜂に水をかけます。何かの弾みで蜂に刺されるかもしれないし刺されれば痛いことは想像がつきますから、それはもう本当に終了するまでの数分間、半分は命がけなのでした。それでも、出来てしまうのですね。蜂に刺されるのを避けるためにしっかりと身体を保護していれば、蜂の巣も退治できるのです。蜂の巣に関しては次回のチャンスが楽しみになっている私です。そして私は自分の身体を守る方法を知っていれば、どんな場所に居ても大丈夫なのですね。
私はこの頃、性知識の部分でも過去に持たされたままの間違った固定観念の中で生きていた事を実感しています。私の場合トラウマに囲まれたままの思考では、「白か黒かの世界」のみで物事を考えてしまうのです。性の部分に関しては、乱暴な性の中に自らの体を放り投げるか、又は囲いの中に完全に閉じこもってしまうことしかできて居なかったのです。そんな私が子どもを生み育てていたのですから、本当に大変なことだと思います。しかもこれらの事は過去には私の深い部分に抑圧されたままだったのですから。
ある本によると、どんな小さな子どもでも性的に快感を得る場所があるそうです。それは社会の傷を抱えたままの大人が想像するようなものではなく、体が心地よさを感じると自然に骨盤内の血流が良くなり、そのように反応を示すということだと書かれていました。
まったく違う知識を知る機会が増え、私は過去に多くの事を知らないまま生き、子どもに対して過去の固定観念の中で多くの自由を奪い続けた母親であった事を何度も何度も折に触れて実感しています。
心の部分が動き始めている。この感覚をどのように伝えれば良いのか・・。 過去のことに対して「もう良いんだよ」と私の心が語っていて、その自分の言葉に私自身が大きな安堵を覚えているのです。 私が“一人の私”として生きるときには、私の中に思考と感覚とそして大切な心がひとつにまとまって生きています。私の思考と心が一緒に存在する時、過去の何もかもは本当に酷い状況で私は本当に生きるしかばねのように自分が無いまま、ただフラフラと生かされていて「辛さ」以外の何者でもなかった事を実感できるのです。
1年半前、まだまだ心に蓋をしていた頃には意味がわからなかった本などを、私は今自身の心を通して読み進め、過去に自分が居た状況の最悪さを全身に感じ、そして今変えていく必要があることもまた痛感している毎日です。
家の庭に生まれてまだ日も浅い「かまきりの子ども」が居ました。小さな身体で私を威嚇していて、威嚇するスタイルと、顔のひょうきんさとのアンバランスがなんとも言えませんでした。小さなかまきりも生きようとしているのですね。自分を守る事をしながら・・・。7:31
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