「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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| 2015年05月01日(金) |
心と体と繋がり。サプリメントについて思うこと |
数ヶ月前サプリを買おうとしたことがあったけれど、やはり抵抗があったのです。一旦飲み始めるとやめるのが難しくなることもあるとも思いました。それから、健康の助けになるとしてもそれを一生飲んで生きていきたくなる可能性もあるとするならば、それはおかしな気もしたのです。この思いは、子どもの頃にたった数粒の薬を飲むのに抵抗があった自分に似ています。当時、その薬が苦いとかまずいとかいう理由ではなくて、とにかく体が受け付けなかったのです。自分とは違う何かが入ってくることに体が抵抗したのだと思います。
昨今、多くの人々がサプリで健康を補う習慣を持っているのは何故でしょうか?長く生きたい為?疾患を治す為?もしも健康に生きるためだとしたら、別の方法として、ヘルシーな食べ物を食べ前向きな心で生き、エンドルフィンなどのハッピーホルモン、身体に大切な、そして自分で生産できる可能性の高い物質を自分で作り出せるように意識すという方法がありますが、サプリはこれらに取って代わる役割をするのかな?しかし、仮にサプリがそのように作用するものだとしても、人々はそれを長期に渡って買い続けることが出来るでしょうか? 疾患を治す為だとしたら、私はこれまで大きな疾患にかかったことがないので語れることがありませんが、環境の整理をしたり普段の食べ物を見直したり、最も大切な心の整理をしたりする作業はサプリ摂取に比べてどうでしょうか? ちなみに精神科医アリスミラーはその著書の中で、彼女自身の経験として、心の整理で関節炎が治り人工関節を入れなくてもよくなったと語っているけれど?軽い喘息もちの私も私なりの幾つかの方法で、今のところは悪化しない生活を送れているけれど? 将来私も重い疾患にかかって、こんな風に言っていたことを後悔する日がやってくるのでしょうか?
サプリについて考えていた当時、体と心のつながり、サプリと体のつながりについても深く考えました。心と体のつながりは既に明らかだと思います。では、サプリと体のつながりはどうでしょうか?サプリメントとは体の機能を高めるために摂取するものなのだから、東洋医学の部類に入るのでしょうか?しかし、人は他の動物と同じ自然の生き物だということを思い出すと、人も彼らと同じように自然の食べ物を自分に与えてあげる方がよく、つまりサプリとは本来食べ物で取るべきものがどうしてもうまく摂れない時に利用するものではないでしょうか?
サプリメントは永遠に利用し続けられるものでしょうか?お金があれば少なくとも永遠に買い続けることはできるでしょう。しかし、お金はそういつまでもあるものではないし、買えない時もあるかもしれませんし、お金があったとしても果たして本当に永遠に買い続けることが出来るのでしょうか?大地震が来てすべてのお店がなくなったら?信頼していた会社が詐欺をしていたら?仮に、正しいと思っていた、あなたの体とそのサプリとの相互関係に関する情報が科学の進歩で後々間違いだということになってしまったら?
サプリメントは体の機能向上を手伝う物質というのはあっていますか? 仮にそうだとして、毎日欠かさず飲まなければという観念にとらわれるようになってしまったらそれは何故? 人々がいつもそれを持ち歩き、一泊旅行にさえそれを持っていかなければ不安になるのだとしたら、それはサプリ依存ということになりますか? 仮にそうだとしたら、彼らの依存や不安はどこからやってくるのでしょう? 何より、それがなければ不安になる生活は人にとって当たり前のことなのでしょうか?
そもそも、生きることの価値はどこにあるのでしょう?それは命の長さか質か?私の答えは質です。出来るだけ自然な工程の中で作られた手に入れやすいものをおいしく食べ、日常に小さな幸せを見出し、明日を思って眠りに付く。そんな生活を望む私にとって、サプリメントはやはり、今のところ、異物として映ります。
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