2004年02月26日(木) |
ザルツブルク、ウィーン、プラハ『Wolfgang Amadeus Mozartの旅 - 2月26日 - 』 |
この日はまずモーツァルトのお墓があるマルクス墓地へ向かった。マルクス墓地はウィーン中心部よりちょっと外れにある。ホテルから電車とトラムを乗り継いで行った。マルクス墓地はいかにも庶民の為の墓地と言う感だった。入り口に入るとモーツァルトのお墓を案内している矢印プレートがあった。私達一行はモーツァルトのお墓へ直行した。どきどきしていた。。近づくにつれて緊張していった。。本当にモーツァルトに会える気がしていた。入り口を入って3分ほど真っ直ぐ歩いてそして左へ曲がるとそこはモーツァルトのお墓だった。。そんなに大きくない。悲しげな天使の石造がお墓だった。。1791年に亡くなったモーツァルトはマルクス墓地内の共同墓地に埋葬されている。だからこの天使の石造の立つモーツァルトのお墓は、おそらくこの辺りに埋葬されたであろう場所であり本当にこの下にモーツァルトが眠っていると言う確信はないのである。。お墓を目の前にして私達一行はなんとも言えない気持ちになった。。何をするわけでもなくただ30分程お墓の前で黙って立っていた。多くの有名作曲家達(ベートーベン、シューベルト、ヨハン・シュトラウス父・子、ブラームス等々)はみな中央墓地名誉区32A(かなり大きな墓地)に埋葬されている。なのになぜモーツァルトだけあんな扱いなんだ〜っ!ととても悲しくなった。でも中央墓地名誉区32Aにはモーツァルトの記念碑は建てられている。 「必ずまたお参りに来ます。」とモーツァルトに挨拶、そして30秒の黙祷をして私達一行はシェーンブルン宮殿へと向かった。。シェーンブルン宮殿も少しはモーツァルトに関係してるんですなこれが。。御前演奏をした6歳のモーツァルトがその場で滑って転んだ時に、手を差し伸べてくれたマリー・アントワネットに「大きくなったら結婚してあげる。」と求婚?したのもこのシェーンブルン宮殿の一室だし(←有名な話?)。。モーツァルトが作曲家として成功していた頃、その頃皇帝だったヨーゼフ2世も音楽が大好きな人でモーツァルトと仲が良かったと言われているし。。そうそう皇帝ヨーゼフ2世は映画「アマデウス」でも出てきてましたなっ。 この日は時間がそんなになかったので宮殿内は猛ダッシュで見学したのでした。宮殿だから当然豪華で綺麗で立派なのだけど、なんだあの広さは〜っ! あんなに広い所に住んでて誰も迷子にならなかったのかねぇ。。迷子になって冷や汗かいた皇帝絶対2人はいるなっ。。間違いない! さてさて次の目的地は「皇帝納骨所」。。し、渋い? 140人もの皇族がここに眠っているのである。先ほど言っていた皇帝ヨーゼフ2世もここに眠っている。。もちろん目的は皇帝ヨーゼフ2世に会いに行く事だった。。本物のモーツァルトを知っている人だもの。実際にモーツァルトと会って話した事がある人だものね。。 皇帝納骨所は入った瞬間から空気が寒かった。。階段を降りていく。。緊張感が走る。。ズラーッと棺が並んでいた。 どれも立派だった。ズラーッと並んでいる棺を通り越すとその先にはたいそう立派な大理石造りのダブルの棺があった。それはマリア・テレジア夫妻の棺だった。。その棺の前にシンプルな棺が置いてある。。なんとそれが皇帝ヨーゼフ2世の棺だった。。皇帝ヨーゼフ2世はマリア・テレジアの長男。だから1番近くに置かれているんだね。。これまた私達一行、なんとも言えない気持ちになってしまい、30分程皇帝ヨーゼフ2世の棺の前で黙ってしばらく立っていた。そしてモーツァルトと同様30秒の黙祷をして私達一行は次の目的地へ向かう事にした。。 次の目的地はプラハ。。プラハへは電車で5時間ほどかけての移動でございます。国境をまたがるので電車の中でパスポートを提示した。 飛行機での入国審査は今まで何度も経験しているけど、電車での入国審査はこの度が始めて。なんかすごく新鮮だった。 プラハへは夜到着した。そしてホテルへ向かい本日終了でございます。
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