カウントシープ
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昨日の猫は、結局月曜日の朝まで、家の前にいた。隣の喫茶店の店員さんが、新聞紙に来るんで小さなダンボール箱に入れて、イチョウの木の下においておいてくれたのだ。
日曜日、市役所に電話したら、週末はとりに行けないと断られた。付け加えるように、「1番いいのは生ゴミで出してくれるといいんですがね」と言ったけれど、そんなことできない、と思った。生ゴミに猫の死体が埋もれているなんて、もし何かの拍子に子供達が発見したらと思うと、そんなショッキングなことはしたくなかった。
朝、普通の一般ゴミが回収されたあと、まだ箱が残っていたので覗き込んだら、マジックで「ネコ」と大きく書いてあった・・・と相方に聞いた。 ボクが返ってくる頃には箱はなくなっていたけれど、この後どうなるんだろうね、と話した。
日曜日の夕方、母親からメールが来た。実家で飼っていた猫が死んだ、という内容だった。猫はアメリカンショートヘアで、縞模様の小柄な猫だった。猫にしては早く、まだ8歳だった。 ボクは、昨日の夜の子猫が、まるで実家の猫のように思えてならなかった。縞模様も良く似ていたし、まだ抱いたときの暖かさや、毛並みの柔らかさが掌に感触として残っていて、それが何度も蘇るようだった。
母親は、猫が死んで寂しいと書いていた。それがボクには嬉しかった。ボク達と一緒にいた頃は、母親が胴思っているかを顕すような言葉は殆ど聞けなかったから、こういう言葉を聞くと、母親の中にちゃんと心があったのだと思えて、それはとても救いになるのだ、と思う。猫は、数年前に死んだ猫の隣に埋めたらしい。それまで死者を弔うことの無かった母親の心に、今は猫が住んでいる。
猫が母親に教えてくれたことは計り知れず、ボク達人間の子供では無理だったのだと思うと、少し寂しい。ボク達は、猫になれなかったのだ。
ロビン
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