| 2001年10月21日(日) |
佐伯泰英「瑠璃の寺」を読み始める。 |
佐伯泰英「瑠璃の寺」を読み始める。遠路長崎から江戸に着いたばかりの子供連れの若者が老人の命を救う。その老人は江戸の非人頭だったから若者の熱い思いは思いがけない速さで現実になってゆく。と、物語の展開は核心に迫るのが早そうだ。 中村真一郎「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第6章の題は「めでたい正月」筆者の必ずしもめでたくはなかった幼少から青年期、さらに壮年期を振り返りながら七十代に達したその時の「今」の自分をやや誇らしげに語っている。 「私のまわりに集まってくるのは、新しい仕事の夢の群である。」最後まで仕上げるべき作品の夢想と構想に耽っていたという筆者の若々しい精神が感じられる。 「新年早々、近代作家の冗舌な言葉の氾濫は、もう中年過ぎた私にはわずらわしい。ラテン語の簡潔な後の配置が、精神に快いのである。」 筆者が本や読書について語る部分は特に生き生きとしている。 物置から「新宮本武蔵」の1と2を掘り出してきた。裏を見ると連作剣豪小説とある。目次にも「人形武蔵」「幽霊武蔵」「ぶんしん武蔵」などとあり短編集のようだ。最初の「人形武蔵」を読んだ。傀儡師の使う三寸ほどの人形たちがまるで生きているように動き、武蔵に集団で襲いかかるという伝奇的な話で、一方の武蔵も素直にこわがって逃げ回る後世に言う所の剣聖でも剣豪でもない普通の男として描かれている。「秘伝・宮本武蔵」の武蔵と同じと言えば同じか、というところ。
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