今までどんなアルバイトをしてきたのか? 棚卸し、仕分け、荷物運び、警備、交通量調査、コンサート会場の準備、デパートでの案内、パン工場での仕事、イベント会場でのゴミ拾い・・・どれも1日や2日日つづしかやってないが、思えば色んな激短のものをやってきた。 ちなみに何故長期のものをやらなかったのかは、やる気がなかっただけのこと。
そんな中、年末年始の郵便局、某出版社の模擬テストの採点の2つの仕事は、自分に向いている仕事だった。 その他の先にあげた仕事は、どれも嫌な、不向きに感じるものばかりだった。 自分に向いている、どちらかというと好きなものを判断することは重要である。 まだバイトならいい。 この先の就職のことを思うと、そんな思いが自分の中に強調される。
爆笑問題司会の番組で「爆笑問題のススメ」という、作家を招いて話を聞くというものがある。 つまり、トーク番組である。 毎回<○○のススメ>と題打って番組は幕を開ける。
今まで面白かったのは、中島らもの<脱不自由のススメ>、江川達也の<快楽のススメ>、島田雅彦の<非マッチョのススメ>、ねじめ正一の<詩のススメ>、梁石日の<どん底のススメ>、田原総一朗の<喧嘩のススメ>、中村うさぎの<欲望のススメ>、米山公啓の<無理しないのススメ>、藤田宜永の<軟派のススメ>、キリングセンス・萩原正人の<生きててよかったのススメ>、松尾スズキの<勝ち負けのススメ>・・・そのくらいだろうか?
面白い回は、大抵題で、初めに予想できる。 上に挙げた回の内容は、どれも自分の価値観が揺らぐような、それでいてナットクできるものであった。 そしてそれらのタイトルは、今見直しても変わっていて面白い。 作家の人にも色々な考えの人がいるのだな、いや、作家だからこそうなのか?と感心し、そうやって自分の考えを説得力を持たせてススメられることが羨ましく思える。 よって、僕もこの際何かをススメておこうかな?と思います。
タイトル:「飽きるのススメ」
あいつは飽きっぽい性格だ、と言うと、その人をバカにしたような印象がある。 何事も続かなく、根気がない。 そんな悪印象を、<飽きる>という言葉には内包させている。 しかしこう思う。 飽きる、ということこそが、人類進化の鍵を握っているのではないか? 大袈裟か。 飽きる、ことこそ人間らしいのではないか?と思う。 ここでの人間らしい、の定義は、今の人間の存在そのものを指す。
僕は、今の人間により強く興味がある。 それは今僕が存在しているからである。 あまり、もし僕が戦国時代に生きていたら?と想像しても、あまり意味はないだろう。 つまり実際にその時代を生きた人でなければ、その時代をリアルに感じられないというのがある。 もう一つ、どの時代に生きたいか?と聞かれて選んでも、その時代に行けるわけではない。 自分を選べないのと音字で、生きる時代も選べない。 だから、強制的ではあるものの、リアルな今に興味があるというのは、必然的と言える。
そんな中、時代を経て、今の時代になり、振り返ってみると、特に今はより自由な時代になったと言える。 国民にあらゆる選択権がある時代。 それを幸せと思える自分が幸いだ。 そして、様々なことを選択する自由があるからこそ、飽きることも出来る。
分かりやすいので比較的近いところから比べると、戦後、人々は暮しが物質的に豊かになることを望んだ。 それは当然だろう。 そして人々の研究の末、あらゆる技術開発が行われ、また、労働力が物流を生んだ。 そして生活は豊かになった。
ただ、最近、一部では、科学の進歩や物質に満たされた生活のことを悪く言う人がいる。 それが僕は嫌だ。 その両者ともが、人々に、より多くの国民にあらゆる選択の機会を与え、生活にゆとりを与え、それによって自由な時間を生み出した。 何かに押し付けられるのでなく、ある程度自発的な考えを持てるようになった。 それは、1人の人間としては重要なことであろう。 そうでなければ1人である意味がない。 では、そのことと<飽きる>ことがどう関係するのか?
最近、人は物質的に満たされた生活に飽きている面もある。 やや自分の周りを飾り過ぎたのかもしれない。 飾りが重たくなってきたのだろう。
ということは、人はもっと飽きたことに気づき、飽きた心に違う刺激を与え、精神的にゆとりをもてるようにするといいのではないか? 同じ事、同じ仕事、同じ趣味などを、続けてはいけない、ということでない。 あることに対して、「あぁ、飽きたな」と思った時に、それを恐れてはいけないということである。 飽きる、という言葉の印象の悪さに惑わされないべき、なのだ。 飽きるという自然な気持ちを一種のシグナルとし、それを十分生かして次の何かを模索することが、強制的でない行動を生み、またそれが楽しいことを生み出す結果になるのでは?という予感を僕は大事にしたい。
というのが僕の<飽きるのススメ>です。
最後に簡単に砕けた感じにまとめると、同じ事を形を変えずにやっていて「飽きたな」と思っているのに、「まぁ、続けることが大事だから」と思い直してしまうような、そんな強がりにも似た気持ちでマンネリの事実を塗りつぶすことが、嫌だなと思うのです。
―END―
ついしん ふと昨晩思ったのだが、中谷美紀ってテレビドラマで最近、<悪い女>を演ってないでしょ? 映画「カオス」の時のような、もしくは違った形の悪さを、ドラマで深く演じて欲しいなーと希望する僕です。(もちろん映画でも喜んで) 絶対悪のようなキャラより、必要悪を漂わせるキャラの方がいいかな? でも、絶対悪の方が、より深い印象を与えることができる気もする。 「カオス」の時は、得体の知れぬ怖さを漂わせていたから、絶対悪の方だったな。 何にしろ、警察と泥棒を捕まえてやっつける、というような、そして警察のカッコ良さで幕を閉じるようなストーリィの話はノーセンキューである。 そういう話の中の悪者は、全然魅力ないから、悪役に失礼じゃない? そういう話が面白く感じる時もあるけど。 あれ、そういえば連ドラの「女医」の時の中谷って悪役だった? 見てないから知らないけど。 まぁ前のドラマだしね、あれは。
ついしん2 僕が大学生(あれ、これは初情報かも)であるにもかかわらず、バイトをあまりしていないのは、人より物欲に欠けているからかも。 高い買い物は就職してからでいっかーという漠然とした考えはある。 ということは、自立心に欠けるものの、身分相応な行動を取る人間とも言える。 ただし、学生らしい勤勉さに欠けるので、実はそうでもない。
ついしん3 「遠くに尊敬」という慣用句を思いついた。 なるべく年齢の遠く離れた、さらに日本でなく遠い外国の人に尊敬できる人がいた方が、嫉妬せずに済む。 どちらも近いと、かなり嫉妬してしまうだろう。 ただし、嫉妬があってこそ人は競い、成長するとも言える。 だから、あまり役に立たない慣用句だ。 嫉妬せずに人を尊敬したい人は是非、この言葉を胸に生きていって下さい。
ついしん4 24日の日記で、漫画はリアルじゃないからあまり好きではない、というようなニュアンスのことを言ったが、絵で何かが表現されていることは好きである。 つまり、挿し絵や絵画の方が面白い絵は、漫画のソレに比べればあるからね。 まとめて言うなら、劇画タッチの漫画に興味がないということ。 あれは中途半端だ、表現方法としては。 でも、人集めて役者に高いギャラ払うより書き手の才能さえあれば手っ取り早いのはわかるけど。
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