今日はちょっとは院生らしい話もしよう。
来る10月6日は我が大学の国語国文学会が開催される。 とはいえ、ほぼOBで構成される身内の学会なので、 メインはM2の修論中間発表である。 よって、M1は(明日は我が身か)の恐怖に怯えつつも、 一応気楽なものだと思っていたのに・・・
合同研究発表が回ってきた(チーン) 『明治時代における当地での演劇上演目録』を作成しろだってさ。
まぁ、今回の時点では完成品の提出ではなく(完成は来春予定)、 調査の中間報告なのでまだ気が楽とはいえ、予想外の展開にM1パニック。 突貫工事、やっつけ仕事、とにかく発表レベルにまで持っていくために、 ここ数日はひたすら明治30〜40年代前半の地元新聞を漁っていた。
新聞(私の担当は明治31.37.43年)
マイクロフィルム化されているから、確かに作業は機械一台でできるけれど、 明治31年の新聞の読みにくさといったらちょっと異常だ。 見出しも記事内容も同じ大きさの文字ってなんだ?(識別は見出し上の●印のみ) 何で演劇記事の両脇に身投記事と事故記事が配置されるんだ?
明治37年にもなると、挿絵が入ったりして、レイアウトにも凝ってくる。
明治43年には写真も登場するので、紙面が華やかだ。
嗚呼、新聞も試行錯誤でここまできたのか。 毎朝届けられる平成の新聞を眺めるとつくづく思うのである。
とはいえ、自分の担当箇所はなんとか無事終了した。 (次はコレを元に目録作成か・・・) およそ900枚程度のコピーを見ながら、口から漏れるのは溜息のみ。
「貧乏暇なし」ならぬ「院生暇なし」 我ながら巧すぎてちょっと泣ける(苦笑)
|