今日は大学へ行こうかとちょっとだけ思ったが、天気が悪そうなのでやめた。 お前はカメハメハ大王のご子息かいって一応自分に突っ込んではみたものの、 今日は特に大学行ってもすることないんだよねぇと思い返す。 どうせ明日明後日は行かなくちゃいけないわけだし、まぁいいだろ。
代わりにと言ってはなんだが、今日は一日を宿題のレポート作成に費やした。 内容は先日観に行った能の鑑賞記録であるので、特に資料も必要ない。 要するに、夏休み直前の講義を力技で休講にされた助教授渾身の反撃なのであった。
謡曲「小袖曾我」は、『曾我物語』を基にして作られた一幕物の現在能。 全九公演のうち敢えてコレを選んだのは、私の修論が『曾我物語』だからである。 これで『小袖曾我』を観ていないなどと言ったら、助教授に何を言われるか分からない。 優れた論文を書くためには、一にも二にも作品に対する愛情が必要なのだから。 (時として、愛情は憎しみにも変わるんだけどね・・・) ともかく、観能の際に持参していた本文のコピーに書き込んだ感想をもとに、 せっせと観賞記録を作成する。ポイントは衣裳・所作・科白、等々。
一通り書き終えた後、ふと思いつく。 (『曾我物語』自体では、この場面をどう扱ってたっけ?) よって、いそいそと本棚から『和泉古典叢書10 大山寺本曽我物語』を取り出す。 頁を繰る、読む・・・おぉぉぉっ(驚) 当然ストーリー展開は一緒だが、人物の性格付けがかなり違っている。 『曽我物語』よりも「小袖曽我」のほうが、より人間臭くて、弱っちい。 母親に勘当されている弟が、兄の前で「もう俺は母さんの所に行きたくない」 なんて、拗ねちゃってるシーンは『曽我物語』には見られない。 何せ『曽我物語』の世界では、弟は武勇の誉れ高い立派な武士なのである。 (どうして、能作者はこういう性格にしたのだろう?) (他の「曽我物」と呼ばれる能作品でもこうなのだろうか?) (能以外の芸能で『曽我物話』ベースの作品は何があったっけ?) (そもそも『曽我物語』の中の弟は本当に勇猛なだけの人間なのか?) ・・・考え出したら、キリがない(苦笑)
とはいえ、コレを問題に何とかしようなんてこれっぽちも考えていない。 閃きは一瞬の感情の昂ぶりが生むものに過ぎない場合が多いからだ。 ただし、「下手な鉄砲数撃ちゃ当る」もまた真実、 繰り返す閃きの中で、たまに大輪を咲かせる閃きもある・・・たまにね。 一つの閃きが生きるか否かを見分ける能力を身に付けるためにも、 人は考えることをやめてはならないと私は思うのである。 文学に限らず、生きていくうえで。
「人間は、考える葦である」 by.Blaise Pascal
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