年の近い姉弟ほど厄介なものはない・・・私の自論である。 性別が同じならば、服装や趣味などで共通の話題が見つかることもあろうし、 年の差が離れていれば、世代の違いだと割り切ることもできるであろう。 しかし、小学校・中学校、おまけに高校まで被ってしまった二歳違いの姉弟では、 嫌でもお互いの生活空間にお互いの存在を感じていなければならないのである。 おまけに私は文学少女、弟は野球少年、共通の話題などあろうはずがない。
一言で言えば、仲が悪かったのだ。高校時代は最悪。 その仲の悪さは校内でも有名(この世界の狭さが嫌だったのだ/苦笑)で、 後から聞いてみれば、両親ですらもちょっとだけ本気で心配していたらしい。 それでも、姉弟は姉弟。 そのことを思い出させてくれたのが、下記の一冊である。
『おとうと』(幸田文/新潮文庫)
幸田文の半自伝小説は、市川昆監督の手によって映画化もされた名作である。 (この場合、小説も映画も名作だというのだから稀有と言えよう)。 物語はある事件を契機に不良に染まっていく弟が結核によって息を引き取るまで。 主人公・げんと弟の緑郎という三歳違いの仲良し姉弟も、 成長するにつれて少しずつ関係に隙間が見え始め、ぎくしゃくしていく。 弟の不甲斐なさに腹を立てながらも、何かあるのではないかと心配したりと、 急速に大人びていくかと思いきや、存外子供っぽい所も見える弟を、 時に気弱に時に気丈に、両親以上の注意を払いながら見護るげんの姿は、 弟を持つ姉ならば誰もが一度は体験したことのある感情を思い出させてくれる。
年を取っても仲の良い姉弟だって大勢いるのであろうが、 いつまでも子供だと思っていた弟をいつしか見上げるようになり、 声変わりを終えて、無口になっていく時に感じる戸惑いや焦りは、 姉にとっては軽い一大事であり、覚悟を要する瞬間なのだと思う。 しかし、幸田文は18歳で弟(享年15)を喪った。 こんなことならば、もっと生きてもっと心配させてくれたほうがマシだと、 きっと何度も思ったであろうことは想像に難くないではないか。 私だって、弟が元気でいたからこそ無視の一つもできたのだから。
最後に我が家に関して付け加えるならば・・・ 両方がそれぞれの大学で新たな一歩を踏み出した時に雪解けが到来した。 やっとお互いの影を振り切ることができたとでも言えようか。 それは決して淋しいことではなく、喜ばしいことなのである。
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