| 2001年10月02日(火) |
文楽「仮名手本忠臣蔵」 |
本日、いよいよ文楽デビューに踏み切った。
※文楽=人形浄瑠璃、すなわち人形版歌舞伎のこと。 浄瑠璃節を歌う太夫と三味線と人形の三様によって舞台は成立する。
今回は、場所は9月12日に柿落公演を終えたばかりのピカピカの県立音楽堂、 演目はちょうど講義で扱っている「仮名手本忠臣蔵」より ●五段目「二つ玉の段」 ●六段目「身売りの段/早野勘平腹切の段」 ●七段目「祇園一力茶屋の段」 ということで、まさにデビューを飾るのには絶好のシチュエーションなのである。
さて、私と友人は意気込んで前から二列目の中央席を陣取った。 ちょうど舞台を見上げる形になるので首が痛くなるのが難点であったが、 実はかなり大きな人形が間近に見えるその迫力たるや凄まじいものがある。 力強い足踏み、器用に開閉する手、ぴたりと決まった見得の気持いいこと!! しかも眉毛と目蓋と口が動くだけで登場人物の感情がよく分かるのも発見である。 眉を吊り上げた時の怒りの表情、目を閉じ口をへの字に曲げた悲しみの表情、 人形遣いのちょっとした加減で人形の表情は、時には人間よりも豊かに変化する。 文楽を構成する三様、太夫の語りも哀愁漂う三味線も勿論素晴らしいのだけれど、 やはり人形・・・人形遣いの腕で文楽の評価は決まるのだと私は思う。 大抵、1体の人形は3人(俳優1人+黒子2人)によって操られるのであるが、 一番重要な役割を担う俳優の息遣いが徐々に人形に移っていくのが分かるのだ。 今回でも六段目の終わりの方で勘平が切腹する場面での大振る舞いでは、 俳優の荒い呼吸が腹を切った勘平の悲痛な呻きにも聞こえて苦しくなった。 本来ならば最も目に付く人形遣いが自然に溶け込んでいるのだから不思議な話だ。
しかし、こんなにも有名な「仮名手本忠臣蔵」も台本だけを読んでいる分には、 実は陳腐で安っぽいストーリー展開に退屈さを覚えるような代物に過ぎない。 だいたい刀で殺された人間をよくよく調べもせずに自分が鉄砲で殺したと思い、 人に責められるままに切腹し、その直後に事実が分かるなんて・・・有り得ない。 分かっているはずなのに、それでも目の前でやられると納得してしまう。 結局、生の舞台を見ることが物の本質に触れる一番の近道、 百聞は一見に如かず、とは古人はよく言ったものだと感心する。 また機会があれば、是非鑑賞してみたいものである。
帰り際、近世文学の教授と遭遇してしまった。 居るだろうと予想はしていたが・・・木曜日の講義で顔を合わせるのがやや憂鬱。
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