講義中、「仮名手本忠臣蔵」の中に「笑壷の入る」という表現を発見。 今でも笑いが止まらなくなることを「ツボに入った」と言うが、 この頃から使われていたのか・・・といたく感心してしまった昼下り。
本日の一作: ・『鞄の中身』(吉行淳之介/講談社『吉行淳之介全集』第10巻)
第3回近代文学ゼミは私の番。 題材は第三の新人の一人、吉行淳之介『鞄の中身』を選択した。 吉行といえば、高校3年生の時、滅多に他人を褒めない変わり者の国語教師が、 唯一はっきり褒めていた作者であったことは今でも記憶に明らかである。 私自身も大学に入って何作か読んでいるが、やはりコレが一番面白い。 【梗概】 夢の中、刺殺された自分の死体をもう一人の自分「私」が鞄に詰めて逃走する。 最初のほうは無我夢中で逃げるのであるが、だんだん鞄の中身に疑いを抱き、 さらには逃げている自分でさえ本当に自分なのかどうか不安になってくる。 過去の女は全くの他人と扱うし、鏡も窓もないので自分では確認できない。 ≪やはり、私はじつは私ではなくなっているのではないか≫≪顔が見たい≫ 「私」の混乱がピークに達した時、急に目が覚め、新しい一日がまた始まる・・・
他人の前で自分の意見をまとめて発表することは本当に難しい。 今回も準備したレジュメを駆使して、何とか言い切ったのであるが、 個人的見解としては、今作品の根底に流れるのは作者の皮肉ではないかと考える。 他人の同意や鏡などの手段がなければ、アイデンティティが急速に揺らぎ、 自分を自分として認識できなくなってしまう人間の内面の弱さへの皮肉。 さらに、その夢がいったん終わったとしても、現実の生活が繰り返されれば、 それを反映している夢も続いていくことに気付かないことへの嘲笑。 つまり、吉行は読者から一歩高みの立場に立って人間の弱さを皮肉っている、 と同時に、自分こそがその弱い人間の代表であるという自嘲をも込めている。
ここまでを私は考えてきたのだけれど、 今日の話し合いで2人の意見を聞き、さらに見方が変わってきた。 いつもはお馬鹿な話ばかりして盛り上がっている院生室の愉快な仲間達を 思わずリスペクトしてしまうのはこういう時・・・ホント皆すごいや。
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