現在、メディアでもよく見かけるようになった狂言師であるが、 一口に狂言と言っても、実は和泉・野村・茂山などでそれぞれ流派が異なる。 同様に、15世紀に入って世阿弥が大成した能にも、五つの流派がある。 「観世・金剛・金春・宝生」、そして江戸に入って生まれた「喜多」である。 そのうちの観世・金春・宝生流の家元が同じ時同じ場所に集い、舞を舞う・・・ それが本日県立音楽堂で行われた「三大流派競演能」である。
昼夜二部制で各10000円など、到底学生が手を出せるような値段ではない。 完全に諦めモードでいたら、突然チケットが空から降ってきた。 近世文学のK越教授が夜の部のチケットを2枚無料で回してくれたのである。 真面目に学習していれば、たまにはイイこともあるものだなぁ。 講義が全て終了すると、私は喜び勇んでバスに乗って会場に赴いた。
まずは、舞囃子。 「草紙洗小町」の一場面を面も衣裳もつけずに紋付袴のままで舞うのは、 金春流の若宗家、金春安明氏である。 宗家は想像以上に若々しく、静かな動きで壇上を滑るように歩く。 張りのある声は、鬘物であるためか、やや柔和な印象を受けた。
次は狂言「呼声」 仕事をさぼって家にいる太郎冠者のもとへ主人がわざわざ呼びに出掛ける。 しかし、太郎冠者は主人の呼びかけに居留守を使って、誤魔化そうとする。 居留守に気付いている主人は何とか太郎患者を呼びだそうと考えた。 まず、主人が謡風に呼びかけると太郎冠者も謡風に返事をし、 次に小唄風に呼びかけると小唄風に返事をし、最後に踊り節で呼びかけると・・・ 太郎冠者も思わず踊りながら奥から姿を見せてしまうのである。 狂言の面白さはまるで「ドリフ」だ。 来る、来ると分かっていてもやはり笑ってしまう安心がそこにはある。
最後に能「小鍛冶」 見所は実は稲荷明神の霊狐であったシテが、勅命で剣を献上することに決まった 三条小鍛冶宗近(ワキ)とともに金槌を振るい、名剣・小狐丸を完成させる場面。 人間が狐に化けなければいけないのだから、面・衣裳にも工夫がある。 さらには頭の上に狐の形に切り抜いた板をつけているのだから、ちょっと可愛い。 (たとえばコレが植物の精であったりすると、花の簪などを付けるのであるが)。 シテを務めるのは我等が宝生流宗家宝生英照、堂々とした立ち振る舞いである。 舞台に立って迫力が違う、一言一舞にオーラがある。 コレがプロなのかと改めて実感、目から鱗な気分になった。
しかし、その後友人と2人でパスタに舌鼓を打ちながら、ついポツリ。 「どうせなら観世が観たかった・・・」 昼の部で「羽衣」を演じた観世流宗家観世清和、実は密かにファンなのだった。 講義さえなければ行けたのになぁ・・・なんて、それもまた我が人生なり。
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