ヤグネットの毎日
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2001年10月20日(土) |
古代ロマンに思いをはせる |
城陽市というところは、京都と奈良のちょうど中間にあり、「五里五里の里」とよばれてきた。 したがって、遡れば大和朝廷との関係も非常に強く、当時の遺跡なども次々発掘され、「古墳のまち」ともいわれている。 20日は、「城陽の自然と歴史に学ぶ交流のつどい」という催しが福祉センターで行われたので、参加をさせていただいた。主催は、「くらし・民主主義・平和を考える城陽の会(準備会)で、来年二月に正式に発足する組織だ。「くらし・民主主義・平和」この三つの点で賛同できる市民なら誰でも参加でき、様々な行事にとりくむことにしている。私もぜひ参加をさせていただきたいと思っている。
さて、この「つどい」のなかで、安田豊さんという城陽市で米づくりにずっと携わってきた方の貴重な話に続いて、「城陽東部丘陵の古代ロマン ー栗隈(くりくま)氏を中心に」というテーマで講演を聞かせていただいた。講師は、斉藤幸雄先生。このお話がとにかく知的好奇心を刺激される、とてもおもしろかった。 話の詳細は別の機会にメルマガでも書きたいと思うが、城陽市のいまの久津川、平川、久世と宇治の大久保地域を拠点に、古墳時代から奈良時代にかけて支配していた栗隈氏。大和朝廷とも深いつながりのある豪族で、財力という点でも相当力をもっていた豪族だそうだ。平川廃寺というのがあるが、この寺院はあの有名な法隆寺よりも高い七重の塔であった、というお話もお聞きした。 車塚古墳、丸塚古墳など貴重な遺跡がたくさん残されている。 話を聞いて思った。観光とは、市外からの入り込み客がどれだけあるか、ということももちろん大事で、こうした古墳などを生かした新しい観光をおこすというのも、まちおこしの一つの手法だ。 同時に、観光とは、そこに住む人たちがしばし日常を離れ、憩いとやすらぎを感じられ、「このまちにはこんな歴史があるのか」と郷土に誇りをもてるような、環境をつくることでもある。 自分たちが住むまちの歴史を学んでこそ、郷土愛というものも育まれるものではないだろうか。 こうしたことに、もっと行政が力をいれていくべきだ。そんなことを考えた。
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