ヤグネットの毎日
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2001年11月29日(木) |
お帰りなさい お義父ちゃん |
29日は、前にも書いたが朝3時半に岐阜へ出発。 6時前にJR岐阜駅に到着。そこで、運転を妻と代わり 僕はとんぼ返りで城陽にもどり、妻と息子は岐阜市内の病院へ。 東海道本線で、名古屋まででてそこから新幹線で京都へいった。 朝焼けがとってもきれいだった。10時からの決算委員会総括質疑の 質問準備をしようと思ってたが、ウトウトとして気づいたら「京都」の アナウンスが流れていた。乗り越すところだった。アブナイ…
決算委員会の総括質疑は、申し合せにより1議員15分という時間制だ。 共産党議員団は、3人の委員なので45分。作戦で、団長の奥村議員に できるだけ長い時間で焦点となっている富野幼稚園存続問題や行革について 質問してもらうために、僕は順番を最後にしてもらい、残った時間で質問す るようにした。
決算委員会の詳しい中身は、またメルマガで書こうと思う。
決算委員会終了後は、議会報告の構想をねり、 午後8時から地元の党支部の会議へ議会報告。 それから、9時の近鉄電車に飛び乗り、また岐阜の病院へ。 今日が義父の心臓の手術なのだ。
29日の朝。 集中治療室で対面することができた。 「あ、生きてた。よかった」 それが、義父が私たちに語ったこと。 実感がこもっていて、涙があふれでた。 手術前、麻酔をかけ、丸一日眠っていたことになる。 その間、心臓といういちばん大事な臓器に人間の手が加えられるのだ。 不安でいっぱいだったに違いない。 だから、「生きてた。よかった」は、義父の心の底から思わず あふれでた言葉だったに違いない。
そうだ、人間は生きなければ生けないのだ。 精一杯生きて、自分の人生に「お前はよく頑張った」と 誉めてあげられるぐらい、後悔しない人生をおくりたい。
心から、そう思った。 手術室に入る前、義父は僕の妻に 「ちょっと一泊二日で宇宙旅行にいってくるわ」と いっていた。
無事、生還だ お帰りなさい、お義父ちゃん!
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