ヤグネットの毎日
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2002年01月28日(月) |
わかるとはわけること |
26日は、午前中は宣伝カーで街頭宣伝を行った。いちばん最初の場所で、バイクの人に「うるさい!」とお叱りの声をかけられ、それから10秒もたたないうちに別の方から、今度は「がんばって!」の励ましの言葉をいただいた。7ケ所で訴えた。ぼくは自分が宣伝するときは、たいていボイスレコーダーで録音する。 後で聞き直して、いいフレーズは活字にして残しておくことにしている。こうすることで、少しでもわかりやすく、心に残るような言い回しをみつけたいと思っている。 ぼくの理想は、やさしく語りかけるようで、しかし、内容は政治への怒りと未来への希望、ともに行動したくなるような具体性にみち満ちた演説。いまだに、一度もできたことがない。
じつは、今度の土日は部屋の掃除に大きく時間を費やすことになった。「部屋の掃除をやうう、やろう」と思いつつずーっとできずにきた。業を煮やした妻が、ついに「強権発動」で書類の山、本の山に手をかけた。 みるみる部屋が変化していく。学校が忙しく、体を休めたいはずなのに申し訳ないと思いつつ、後ろでじーっとみているぼくだった。
だいたい、ぼくは整理整とんが大の苦手。 仕事ができる人間かどうかは、その人の机の上をみればわかる、と言われる。それは、自分がすべきことをきちんと頭の中に整理されているか、が机の状態にすべて「現象」するからだ。
昔からそうだった。 やるべき課題が目の前にありすぎると、頭が飽和状態になる。そんなときは、いま自分が抱えている課題をメモにして順番に書き出してみる。すると、並列的に並べていた課題でも、実は「すぐにできること」と「段取りをしなければできないこと。」「他人の相談しないと前に進まないこと」などなど、課題の大きさや性格がみえてくる。すると、自然と気分が落ち着いて、すぐできることをこなして勢いをつけ、一気に他の課題にも手をつけていく。これが、僕の行動パターンだった。
自分の父親から、説教じみたことを聞いた記憶はないが、「わかるとは分けること」という言葉だけは妙に記憶に残っている。自分ができていないことだから、だと思う。 少し行き詰まったとき、自然とやっていた課題の書き出し(いつもポストイットを使っている)は、頭の中の整理整頓。 最近、仕事をうまくこなしきれていないことを自覚している僕にとって、部屋の掃除は突破の糸口をつかむ、大事な「仕事」なのだ。 でも、まだ机の周りは雑然としている。 「100均」で整理ケースをたくさん買い込んできた。今度こそ!
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