ヤグネットの毎日
DiaryINDEXpastwill


2002年01月31日(木) ネコのひき逃げ


 最近、歩くことがめっきり少なくなった。車の移動ばかり。だから肥満体質が改善しない。わかっていても、なかなか車生活から決別ができずにいる。今朝、保育園の参観があったので、歩いていった。(といってもガレージから徒歩4分)
 途中、ある団地の自治会の掲示板のはり紙が、目にとびこんできた。
 それは、ネコのひき逃げについてだった。
 「10月24日の深夜12時頃、この場所で車にひかれたネコを見つけました。急いで病院に運びましたが手おくれでした。抱き上げたときはまだ体があたたかく、すぐに処置をすれば助かった命でした。」おおよそこんな中身だった。

 ぼくの記憶が、17年くらい前にフィードバックした。
 当時、ぼくは高校の授業料を払うために、1年ほど新聞配達をしていた。コースを覚えたてのころで、山積みの新聞を時間通りに配達せねば、とあせっていたとき、ネコのれき死体を発見した。
 道路のまん中で見るも無惨なかっこうになっている。「かわいそうに、なんとかしなければ」と思いつつ、配達で精一杯のもう一人の自分が「おまえが手を汚さなくたって、誰かが見つけて供養してくれるさ」とささやく。結局ぼくは、死んだネコをそのままにしてバイクで走り去ったのだった。そんな自分が情けなくて、当時、文芸の同人誌(友人でつくっていた)に「手がよごれるから、忙しいからといって、目の前で苦しむものから目をそらしてしまった自分を許せない。自分のことだけでなく、他人のことを思いやる生き方がしたい」というような趣旨の一文をのせた。いま思うと、自分でもくすぐったいくらい真直ぐだった。

 自治会の掲示板にはり紙をした人も、「生きとしいけるものすべてへの深い愛情こそ、大切だ」ということがいいたかったのだろう。その一文をネコをひいた人が見ている可能性はほとんどないだろう。ひいたことも自覚がなかったのかもしれない。
 でも、はり紙をした人の思いは決して無駄ではなかったと思う。
 
 だって、「手がよごれるから、忙しいからといって、目の前で苦しむものから目をそらしてしまった自分を許せない。自分のことだけでなく、他人のことを思いやる生き方がしたい」
 そんな昔の青臭い自分の「初心」をあらためて、ぼくに思い起こさせてくれたのだから。


ヤグネット |MAILHomePage

My追加