ヤグネットの毎日
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2002年09月12日(木) |
文化の力が、世界を一つにする |
夜、梅原司平さんのコンサートが伏見区の京都市呉竹ホールで開かれた。音楽センターの粟田さんから、ていねいにチケットと案内が送られてきていたので、喜んで参加させていただいた。 今回のコンサートは、「Will 国際文化交流研究所」というNPOの発足を記念したものである。「9・11」というあの忌わしい同時多発テロがおきて一周年に開かれるのも意義深い。 「Will 国際文化交流研究所」の設立趣旨と活動目的については、僕の手もとにある資料に、次のような事が書かれてある。大切なことなので、全文を紹介したい。
国際社会といわれ、インターネットが普及し、世界は狭くなったといわれます。その分、国際交流も盛んになりましたが、自分たちの欲求だけを満たす様な海外旅行が増え、相手の気持ちを理解したり、相手のためになるような国際交流は行われているでしょうか? また、日本は固有の長い歴史とすばらしい文化をもちながら、それを紹介しきれず、国全体の流れとしては伝統が損なわれ西洋文化に傾倒しているともいわれます。 Willでは、このような偏りを是正し、日本の伝統文化を中心に日本の良さと、文化の独自性を守る活動を進め、相互の理解を深め、平和で国際的に共同しあえる土壌を作るお手伝いをしたいと考えています。 (以上、コンサートのお誘いのちらしから)
梅原司平さんは、すでに戦後50年の取り組みとして「ドイツ・ベルリンのカイザーヴェルヘルム教会(広島の原爆ドームと同じく、第二次世界大戦のメモリアルとして保存されている建築物)で平和コンサートを開くなど、音楽を通じて、「右手の銃を武器に、左手のナイフを花に、争いより対話を」とよびかける活動を展開されている。今年も、「アンネの日記」のアンネフランクの生き方を学ぶヨーロッパツアーを開催された。そして、これらのイベントの企画を手掛ているのが、「Will国際文化交流研究所」の事務局長をつとめる、宮本茂樹さんという方なのだ。 これから、僕ができる範囲で協力をさせていただきたい。
開演の7時を過ぎて、あわてて会場の後方から滑り込む。仕事の帰りの人や、知り合いの姿もあった。コンサートの感想を綴っておく。 梅原司平さんの音楽の底流にあるものは、「人間は、すてたものじゃない。」「人間は、そんなに馬鹿じゃない」という人間への根本的な信頼である。人間への限りない信頼を歌い上げる。 梅原司平さんのうたごえを聞くと、すぐ妻や四歳の息子の顔が浮かび、保育園で泣きじゃくっていた息子の友だちや、おじいちゃん、おばあちゃんの顔が浮かぶ。 まわりの人たちみんなに、もっとやさしく語りかけ、手をつなごうとよびかけられたら、どんなにすばらしいことだろう。必ずしも、そのとおりにできずにいる自分が歯がゆくて、涙があふれる。 「ここでは、おもいきり涙を流してもいいんだよ」梅原さんが、そう語りかけてくれるようで、その安心感がまた涙をさそう。僕にとって、梅原さんのコンサートでは、ハンカチが必需品なのである。
休憩中にパンフレットをひらくと、「9月22日に、梅原司平・歌手生活30周年を記念してのDVDが発売される」とあった。その宣伝ちらしのなかに、こんな素敵な文章をみつけた。
悲しみや苦しみを希望にかえる歌がある あわただしい暮らしの中で、片隅においやられてしまった夢 誰からも見向きもされないような、ありふれた愛 ささやかな日々の中に埋没してしまいそうな心 すべてを優しく包み励ましてくれる それが梅原司平の世界
そのトークに笑い、歌声に涙し、心癒される至福のひと時 あとは、押し寄せる感動の波に身をゆだねればいい いつの間にか感性の扉が開かれている自分自身に気づくだろう それはあなた自身を取り戻す旅の始まり
DVD「時の記憶」の宣伝ちらしより
梅原さんは、「戦争ではないテロとのたたかい」があるはずだとし、音楽、文化は武器を捨て、世界を一つにするすばらしい可能性があることを、トークと音楽で訴えた。 また、子どもたちの「心が育ちにくい」深刻な危機があることをみつめながら、自分を認め、表現する力をつけ、みんなとともに生きていく力をつけることも、これもまた音楽、文化、芸術の役割だと訴えた。最近、教育委員会や校長会などからの公演以来が急増しているそうだ。
そして、あらためて感じたこと。照明、舞台演出(アンコールでスクリーンに映し出されたニューヨークをイメージした影絵(正確なネーミング知らないのだが)、音響。もちろん、舞台の梅原司平さん、金井信さんの演奏もふくめ、熟練した技が自らを主張しながら共鳴しあい、見るもの、聴くものに熱烈なメッセージを放出していた。 金井信さんのピアノの独奏も、技術的なものはもちろんのこと、「心」で弾いているという感じだった。 ステージ全体を見て、聴いて、感じることで涙があふれでるのは、ステージをつくりあげるスタッフ一人ひとりの心のなかに、「人間は捨てたものじゃない」という人間への限りない信頼があるからだろう。
京都音楽センターの時田裕二さんは、「文化活動はボディーブローのようなものだ」とよく僕に語ってくれる。文化は、人間一人ひとりが大切にされ、お互いの存在を認めあい、共に生きる力を育むものだ。たとえ、時間がかかっても。そのことへの揺るぎない確信をまた一つ固いものにしてくれた、コンサートだった。 文化は、争いをとめ、世界を一つにする。 人びとに対話と共同の必要性をめざめさせ、世界を動かす力になりうる。 9・11の一周年に僕が、いちばん感じたことはそのことだ。
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