ヤグネットの毎日
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2002年09月20日(金) |
国いいなりとはこのことなり |
朝、庭をみたらトンボが飛んでいた。秋らしさを感じさせる瞬間だ。でも「赤とんぼ」ではなかった。最近、「赤とんぼ」が激減をしている、という。地球環境の悪化が原因であると新聞記事で読んだ記憶がある。 風物詩、風情といったものが一つひとつ失われていくのを拱手傍観していてはいけない。そんなことを思うこのごろだ。
城陽市議会は、19日から一般質問がスタートした。それに先立つ一般会計補正予算の審議で、運営費として計上されている「ファミリーサポートセンター事業」に関連して質問した。 これは、保育ニーズの多様化と高まりのなかで、子どもを預けたい人とお世話をしたい人を行政があっせんをして、子育てと仕事との両立などに役立ててもらう、というものだ。こうした地域で、社会で子育てを支援する取り組みが強まることはとてもよいことで、僕は率直に評価した。 同時に、これですべてよし、ということではなしに、既存の保育施策、サービスをさらに充実させてほしい、ということも要望させてもらった。
一般質問では、わが党の奥村守団長の質問で、橋本市政の「国いいなりぶり」がとても鮮烈に明らかになった。
奥村議員は、橋本市長が「第二名神建設要望」を盛んに行うことについて、「必ずしも建設促進が市民の願いではない。市民の声をまず聞くべきだ」「京都ー大阪間の高速道路は、京滋バイパスと第二京阪道路の完成により、完璧を通り越し過剰な域に達する。なぜ、第二名神が必要なのか、市民に説得力をもった説明ができるのか?」と迫った。 これに対し、答弁にたった助役も市長も、「高速道路といった国土軸の形成にかかわる事業は、国において責任をもってやっていただくべきもの。本市は国の政策にもとづいて、第二名神の通過を盛り込んだ基本構想をうちたて、それにもとづくまちづくりをすすめていく。」の一点ばり。「なぜ、第二名神道路が必要なのか」については、答弁不能。国がやることだから、城陽市として口を挟むべきものではない、というまったくの国いいなりの姿勢に終始した。
これで何が地方分権か、何が市民参加のまちづくりか。なにが、緑と太陽とやすらぎのまちか。 いま、この大いなる誤謬に気がつかなければ、途方もない借金財政、市民のくらし破壊にまたぞろ、後戻りをすることになる。多くの市民とともに、この事態を知らせ声をあげなければ。
赤とんぽもこの城陽から完全に姿を消してしまうのは、心の原風景がまた一つなくなるようで、さびしさが募る。国いいなりにならないとは、自立した人間として、自立した自治体として、自分の頭で考え、行動し、結論を出していくことなのだ。その意味で、自治体も人間のあり方も共通するものがあるのではないだろうか。
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