ヤグネットの毎日
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京都市左京区の宝が池公園で行われた「京都まつり」に17000人もの人たちが集まり、模擬店や文化イベント、筆坂秀世書記局次長による記念講演などで大いに盛り上がった。僕も妻と息子とともに参加。 城陽市の党後援会は、いちじく、キノコ御飯、城陽の地酒、つきたての餅、城陽の特産の寺田イモなどを販売。仕入れから、搬入、販売と後援会のみなさんの熱心な活動には、本当に頭が下がる。本当にごくろうさまでした。7人の議員もそれぞれの物品の販売に協力(僕はあまり売れなかったが)。 乳幼児医療費無料化の就学前までの拡大を求める署名も30筆集めることができた。 一区切りついたところで、文化後援会のテントへ。僕が所属する男声合唱団の指導者としてお世話になっている、ヴォーカリストの中島比沙子さんも二曲ほど美しい声を披露されていた。僕も「歌声喫茶」タイムに「翼をください」を歌わせていただいた。
帰りに京都駅前のアバンティの6Fのブックセンターによる。高世仁さんの「拉致」(講談社文庫)と岩波新書二冊「読書力」(齋藤孝著)「市場主義の終焉」(佐和隆光著)を購入。 「拉致」は読みはじめたばかりだが、巻頭で横田めぐみさんの父君である横田滋さんが読者に訴える一文を寄せている。めぐみさんが中学での部活動を終え帰宅する途中で忽然と姿を消してから実に四半世紀が過ぎているのである。この間のご両親のわが子を思い、必死で行方を探し続けた心中を思うと、言葉を失う。 また、拉致被害者の肉親が高齢化し、わが子の安否を思いながら亡くなられた無念を思うと、怒りがこみあげる。読み終えたところで感想はまたこの日記でも紹介したい。
京都まつりで一番楽しんでいたのは、息子だった。親と子の広場のトランポリンが相当気に入ったようで、ずっとそこで遊んでいたらしい。よっぽど疲れたらしい。近鉄電車のなかで息子は抱っこをせがみ、やがて僕の腕の中で寝てしまった。 窓に吊り輪がうつり、その向こうでは夕焼けに映える東寺の五重塔。 何人の人がこの吊り輪につかまり、何人の人がこの夕焼けと五重塔をみつめたことだろう。幾千万の人が生まれ、生き、死んでいくその歴史の中で、人間の感情と理性とがぶつかりあい、一つの社会をつくりあげている。
一見無秩序のように感じるけれど、「幸せになりたい。よりよく生きたい。命を大切にしたい。」という思いでひとつにつながるはずだ。そのつなげ方、気持ちの確認の仕方、それをどうすすめていくのかに問題関心がある。文化や芸術というものがその際にとても有効である、というのがいまの僕の到達だし、どういう方向を目指すべきかをともに考え見い出すところに、政治の役割がある。
自分に果たせる役割とは何だろう。それは十分に果たせているか。自分を必要としているのはどういう人だろう?
そんなことを考えて息子の顔を見る。全体重を預けて睡眠をむさぼっている息子が愛おしく、ギュ−と抱きしめた。ほっぺは、いつもながらよだれのにおいがした。
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