ヤグネットの毎日
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2002年09月24日(火) 蜘蛛退治の波紋



 先日の日記で、「大グモが我が家に突如あらわれ、妻がほうきとちりとりで退治した」と書いたところ、プライベートサイトのBBSに「蜘蛛は益虫。かわいそう」という反応があいついで寄せられた。ある方は、次のような投稿をしてくれた。ご本人の了解を得て紹介する。

 私は百姓の三男坊です。故郷では、ひい爺さん、ひい婆さんをはじめ、家族、親戚、ご近所大人という大人みんなから言いきかせられたものです。「クモは大きいのから小さいのまで、どの種類のものも1匹たりとも殺してはならぬ」と。
 小さいクモは田畑の害虫を、家のなかをピョンピョン跳ねるクモはハエや蚊を、網を張るクモは蛾やイナゴを、大きいクモはゴキブリを、「人になり代わって捕まえてくれる大事な神様のおつかい。人家に迷い込まれたおりには、そそうのないよう、戸口からそっとお帰りいただくように」と。
 古い実家には縁の下があるので、そこに身を隠す巨大グモをよくみたものです。たびたび、茶の間にひょっこり出てきましたが、「あ、いる」ぐらいの感覚で、そのままテレビを見続けていたものです。
 まあ、ほうきで戸外に掃きとばすくらいはかまわないでしょうが、人間に危害を加えることは皆無ですので、つぶして殺すまでは勘弁してやってはもらえないでしょうか。
 彼らに高度な脳があったなら、きっとこう考えるでしょう。「なんでや!」。

 現在住む京都の家でも、都会育ちの妻が「つぶせ」「殺せ」と私に催促します。僕が、故郷の大人たちと同じことを言って、クモやトカゲ、ヤモリを窓から逃がしてやると宇宙人を見るような目で見つめます。
 環境の違いかなぁ〜。クモに限らず田舎には、大人から子どもに伝承されるしきたり、しつけのための言葉が山ほどありました。「夜に笛を吹くとヘビが布団に入ってくる」(夜に近所迷惑だからやめろ)、「夜に爪を切ると親の死に目にあえない」(深爪するから、爪は明るいうちに切りなさい)、「ミミズに小便をかけるとちんちんが腫れる」(立ちションするな)、「買ったばかりの靴を夜にはくと天狗に下駄で殴られる」(慣れない靴を夜道ではくと、こけて頭を打つぞ)などなど。
 それだけコミュニティーの人間同士の結びつきが濃かった、ということなのかな。地域全体で子育てをしていたため、余裕があったから、子どもをしつけるためのユーモラスな言い回しが生まれたのかもしれませんね。
 科学万能の時代に「神様のおつかい」とか「天狗」というと、子どもにバカにされるでしょうが、今の時代に見合った同様の言葉は生まれるでしょうか。


 この投稿には、生き物に対する接し方はもちろん、大人と子どもをめぐるむすびつきの問題など、大切なことが投げかけられている。
 よく考えれば、銀行員の息子としてわりと都会に近いところで育った僕にとって、蜘蛛など小さい生き物と日常的に接したり、地域全体で子育てをする環境というのは、すでに崩壊しているもとで育ってきたように思う。自分のなかに、ひ弱さを感じるのはそうした自分が育ってきた環境が影響しているのでは…。自分の生育過程まで、蜘蛛退治で振り返ることができた。ぜひ、プライベートサイトに遊びに来てほしい。

 


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