ヤグネットの毎日
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午前中、参議院の代表質問をテレビで聞く。党は市田書記局長が登壇。市田さんは、外交も日本経済も重大な岐路に立たされているという立場から、国民のおかれた大変な実態をリアルにつきだしつつ小泉内閣の無策とわが党の提案がよくわかる質問を展開。学ばせていただいた。 北朝鮮と拉致問題でも、「北朝鮮の異常性と無法性を日本共産党はよく知っている。だから、朝鮮労働党と関係が断絶している」との下りが、重要だ。このことが対話のなかでも、知られておらず誤解があるからだ。 (議場で与党席からざわめきが生じたのも、彼等が金日成などを礼讃してきた傷があり弱点であることをわかっているからこその、自嘲笑いのように聞こえた。) 経済政策についても、自立、自助を説く小泉首相にむかって、「その言葉は大企業や大銀行にこそ向けるべき。自らたつことができない、高齢者や障害者、額に汗する国民、中小企業にこそ光をあてることが政治の役目」、と迫ったくだりが印象的だった。 この立場から、質問では失業率、倒産件数、収入などあらゆる指標が落ち込んでいる実態をとりあげ、小泉流構造改革では、展望がないことを明らかにしたわけだが、首相はまったく答弁不能。雇用保険の給付期間の延長や地域の金融対策等でのわが党の具体的提案と好対照だった。
夜は、11月17日に予定している「みんなおいでよ ファミリーコンサート」の実行委員会。プログラムを決め、手作り企画の演出をどうしようとかと話し合う。みんなのアイディアが集まって一つのものができあがっていく。このプロセスが大切だ。
高世仁 『北朝鮮の国家犯罪 拉致』(講談社文庫)を読みおえた。帯びに記されているように、まさに「愛する者への必死の叫びがついに政府を突き動かした」ことがリアルに描かれている。横田めぐみさんの母、早紀江さんが切なさを歌に託している。
はろばろと睦み移りし雪の街に 娘を失いて海鳴り悲し
(新潟に移ってきたころは家族が一番まとまって楽しかった。そこで突然の悲劇が起こった。眠れない日に 海鳴りが響いてくる。)
被害者の家族は、「二度と戻れなくなるかもしれないから北朝鮮に返さない」といい、被害者は日本の家族と北朝鮮の「もう一つの家族」との間で揺れている。「北朝鮮に残したままの子どもたちが心配。北朝鮮で生まれ育った子どもたちが日本で生活できるか不安」との思いはもっともだ。 はっきりいえることは、被害者にとっても、また被害者の家族にとっても、筆舌に尽くしがたい24年間がある。それは国家権力によって、人ひとりの人生が蹂躙されたのである。再び、国家権力の「交渉のカード」としてこの人たちが使われては、断じていけないということだ。 とはいえ、この本には「なぜ北朝鮮は日本人を拉致したのか?」「北朝鮮とはどういう国なのか?」といった基本的な疑問にも、克明に回答を与えている。それらを読むと、あの国の異常性や無法性が浮き彫りになるので、「北朝鮮に帰ったら二度と戻れなくなるかもしれない」という被害者の家族の気持ちが痛いほどわかるのだ。 「本人と子どもたちの意思を尊重して永住帰国を選択できる門戸を大きく開くこと」。せめて、この合意ができないだろうか?そのためにも、話し合いが必要だ。
なお、本書を読んで違和感を覚えたことが一つある。 それは、1988年はじめて国会で拉致問題を取り上げた日本共産党の橋本敦参院議員の元秘書に関する記述である。 この本ではこの元秘書が1988年に党を除名されたことを紹介し、その理由を「拉致問題をやりすぎたこと」、さらに「拉致問題の社会的関心の高まりが、有事立法をはじめ日本の『右傾化』をねらう勢力に利用されるのでは、という危惧」にあったと、読者に受け取られるような表現をしている。 しかし、日本共産党は意見や考えの違いから組織的排除を行うことはしない。除名の理由は、スパイの強要や思想調査など、憲法や人権などおかまいなしの公安調査庁に、退職後の就職の依頼を堂々としたことにある。 日本共産党の議員としては、この本の感想を述べるさいには、どうしてもふれなければならない問題だと思い、あえて一言した。
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