ヤグネットの毎日
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2002年10月27日(日) 「過労自殺」を読む

 党の地方議員会議が26日、京都市内で開かれた。議員活動や選挙にむけた活動の交流などで学ぶことが多い会議だった。
 演説は政治家の命といわれる。会議のなかで演説の工夫について具体的でわかりやすいアドバイスを聞くことができた。
 演説は、論文とは違い、予備知識がない人でも理解できる話しが大切であること。漢字ではなくひらがなでしゃべる工夫を心掛けることなどは、あらためてハッとさせられる。言うは易し、行うは難し。実践でためされる。

 先日から読んでいた、川人博 『過労自殺』(岩波新書)を読み終えた。
 本書で著者は、過労自殺の特徴・原因・背景を詳しく探っている。フランスの社会学者エミール・デュルケムの論考や法哲学者の井上達夫氏の論文における過労死の分析を紹介しているのだが、とても印象に残る一文があった。

 デュルケムが自殺を個人的気質の問題ではなく、社会的状態の反映として理解する必要を説いたように、我々も過労死を孤立した個人的悲劇としてではなく、我々の社会構造の反映として理解する必要がある。

 著者は、第4章で「過労自殺」をなくすために具体的な提言をおこなっている。この4章が、本書のいちばんの読みどころだ。
  たとえば著者は、1980年代後半に活発にかわされた「時短論議」がいつのまにか雲散霧消してしまい、ますます職場に時間のゆとりがなくなっていることを、指摘する。
 漢字で「忙しいとは心を亡くすこと」だ、という。長時間労働・深夜労働が過労自殺の温床となっていることは自明であり、この異常な日本の職場の改善こそがまず必要であると強調する。
 また著者は、「義理を欠くこと」が大切だ、とも述べる。日本の労働者が死ぬほどに働いてしまう一因に、「同僚や上司、取引先などに配慮しすぎること」があるというのだ。
 人間のいのちと健康は、義理を守ることよりもはるかに尊い価値をもっており、この「義理を欠く」行動を通じて、職場の中の矛盾を顕在化させ、職場改革への契機とすることができる、というわけだ。
 
 また著者は、被災者(過労自殺者)が病院にかかる時間的余裕さえ失っており、過労で体調不良をおこしても、内科診療にとどまり、精神科の治療を受けるケースが少ないことも問題だとし、適切な医学的援助や治療も大切であることを強調する。「うつ病」への正しい知識が本人、職場、家族のなかに不足している現実があることから、心の病気は、もはや特殊ではなく、早期治療が大切だというくだりには、大いにうなずいた。
 
 さいごに、著者は「グローバル経済の時代」への警鐘をならす。国際自由労連は、「経済のグローバル化は、不完全就業、失業、不平等の拡大などと同意語となっている」と警告するが、たしかにこの10年間のあいだに、経済情勢が不況の度合いを深めるのに比例して、社会全体から「ゆとり」を考えるゆとり(著者)が失われている。
 本書のむすびで、著者が国内の社会政策の転換を訴えているが、いまの僕の考えていることをズバリいってくれて、溜飲が下がった。
  
 いま、私たちに一番求められているのは、競争によって活路を見い出すことではなく、国際的にも国内的にも過剰な競争に必要な規制をおこなって、荒々しい市場競争に歯止めをかけることではないだろうか。そして、もっと時間と心のゆとりをもって、国内の社会政策、地球規模ので社会政策のあり方を考え、軌道を修正していくことではないだろうか。

 弱肉強食の新自由主義のイデオロギーとのたたかいこそ、いま緊急に必要だ。この思いをますます強くした。

 
 
 


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