2006年10月07日(土)
悩み |
麻原しょうこう。わけのわからないおじさんだったが,この記事をみてもわかるように,なぜ多くの若い人があのおっさんのもとに集まったのかは考える必要がある。
人間悩みは大体もっている。自分もある。多くの場合,その悩みは人にはいいだせないものだ。学校の先生や関係者だと,その悩みを話すと成績がさがるんじゃないかと本気で思ったりもするだろうし,友達だと嫌われたり笑われたりするんじゃないかといえない。親しければ親しくなるほどその後の影響が怖くていえないものだと思う。
匿名のインターネットならそういう心配はないが,しかしなんだかんだいっても他人の中の他人。誰だかわからない不確かなコミュニケーションである。相談してもあまり楽になりはしない。相手がただ楽しんでいる可能性も否定しきれない。
カルト宗教は,そこを解決できてしまう側面がある。集まった人は身内であり他人でもあり,みんな同じような悩みを抱えている。麻原がそれをきくだけはきいてくれて,こうしなさいと答えてくれる。はきだしたことによるその後の心配もしなくていいし,コミュニケーションも明確だ。
本来,これを解決できるのは親などの身内が子供の意見をきくのが一番いいとされたが,近年ではなかなかそうもいかない。
今の世の中は,mixiだとか,宗教だとか,そういう悩みを相談できる環境がたりない結果,そういうものがうまれるんだと思う。
漏れも他の人と同じで悩みはたいてい自己解決する以外に方法はない。しかし精神的なものはどうにかなるが,病気などの肉体的なものや,社会的なものなどは自分で解決できない。それをどうするかが今の課題だ。もう手遅れ?
ではでは。 |
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