日記
日記です。なんかあれば書こうと思いますです…。

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2006年10月10日(火) 時間とお金


大学の近くに住んでいるからなのか,大学の先生を5回くらいみかける件について。もう何人の先生かは目あったらとりあえず「こんにちはー」くらいいうべきかしんない。

ってことは大学の学生とも結構すごい頻度ですれ違ってたりすることがあると思うけど,いかんせんそっちはまだ知り合いいないぽ。

まぁ,よい意味であそこはバランスがとれた大学だなと思う。よっぽどのことがない限り落ちる科目もあればよっぽどのことがない限り落ちない科目まで科目も色々あるし,難易度も学問的な講義から教授の価値観についてまで,色々。まぁ,そうあったほうが変にどっちかに偏らなくていいように思う。

高専みたいに工業高校時代からのなりあがりの先生なんかで構成していると,どうしても講義が社会(?)の価値観を教える講義に偏って学問的に弱くなってしまって,漏れみたいな学問的な議論についていけない学生を量産して,各大学で問題になる,と。でも企業からの評判は悪くない,と。それはまぁ,就職希望者のほうが進学希望者より多数派だったから,自然とすべてが就職にむけてのものになるから,あの中で大学に入ってついていける人を育成するという活動をやること自体,学生の希望にそうものではないのは確かだし,いた仕方ない部分はある。つまり,自分でなんとかしろということですねぃ。

明日はお風呂に入って一曲作曲したい…。

ちなみにこの間の英語Dで,たぶんほんとは英語力を問いたかったんだと思うけど哲学的に難しい問が。「よりたくさんの時間と,よりたくさんのお金,あなたはどっちがほしいですか?理由もそえて。」

あの講義は(編入生には致命的な)グループをくんで課題をこなさせるものだったから(そのときはたまたま同年代のその講義ではぼっちさんの人と一緒になれた)グループ的に「時間。時間は買えないから。」と書いたけど,これはいい答えだと思う。

お金というのはまさしく人工的なものであって,人がつくった価値観だといわざるをえない。正確には国か。今,国の借金が700兆だという。しかし700兆円という借金そのものに実体はないように思う。例えば,日本銀行が紙幣をすりまくって,お金の量を今より2倍にする。そうすると物価が2倍になり,借金額は今でいう350兆円(と同じ価値)になる。つまり,国の借金なんていうのはその気になればどうにでもなるものだったりするのではないか。個人のお金にしても,存在が実にあやふやで,あまりこんなものにふりまわされていても仕方ないとは思う。適度に社会システムにのるのはいいことだが,お金にこだわっていても仕方ない。それは神様を信じるのと同じくらい,人の作った偶像にふりまわされているなと思う。お金とは人工的である以上,誰かの手が加わればどうにでもなるものなのだ。

しかし,時間は人が作ったものではない。人がその存在に気づいたのは確かだが,何が時間を作ったかといえば,人でない何かとしかいいようがない。自然法則ともいえるのかもしれない。これはお金と違って誰かの手でどうにかなるものではない。それこそなるようにしかならない。

こう考えれば,お金と時間だったら,時間のほうがよっぽど大切で重要だと思う。いいかえるなら,100兆円やるから今すぐ死んでくれというのと同じことで,その問いに「いいよ。」と死ぬ人は,事情はさまざまだろうが,世界認識としては犠牲にするものの順序を間違えているような気もする。

私立大をすすめているわけじゃないよ。

ではでは。

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