Mother (介護日記)
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| 2001年07月18日(水) |
苦情の電話 と 別居の理由 |
電話が鳴った。 平日の午前にかかってくる電話というと、ほとんどが勧誘。 親しい人なら、この時間、うちには誰もいないことを知っている。
もしかして病院から?
「はい? ALLUREです♪」
「あぁ、もしもし? お母さんのアパートの2階のTですけど」
この方からの電話は、おそらく母に対する苦情である。
「あぁ、おかあさんはそちらにいらっしゃるんでしょう?」
「いえ、昨日また、入院しました。」 「こんなこと言いたくなんだけどねぇ。 私は、あなたのお母さんの入院中に、現金を3000円と、 他にもいろいろと合わせたら5000円ぐらい、持って行ったのよ? それなのに、退院したからと言ってうちに持ってきたものと言ったら、 自分が使わないお米と砂糖、それから50円ぐらいの靴下だけなのよ? そのくせ、お向かいの○さんところには、 ちゃんとした包みのものを持っていくのがうちの2階の窓から見えたんで、 もう、馬鹿にされてるとしか思えなくって、あんまり頭に来たものだから、 私、口を聞かないようにしていたのよ。」
お見舞いに対するお礼の品物は母に言われた件数分を、 最初の入院中に既に私が買って準備していた。 しかし、退院後3週間は我が家にいたし、 そのまま自宅に戻ることなく2回目の入院してしまったのだった。
先日(4日)に退院してからもしばらくはうちにいたので、 お礼が遅くなってしまったのは事実。 母も、お向かいのうちにだけ持って行ったというのが問題だった。
「それから、この際だから言いますけど、お宅のお母さん、万引きしたんですよ。 もう、去年の話しなんだけど」 �堯福陰Α院叩叩�
「交差点のところにある、路地売りのお店で、白菜を買おうとして “これから郵便局に行くのに、重たいからとっておいて”と言っておきながら、 戻ってきたら“お金はさっき払った”って言い張って。 あなた、いろんなところで恥をかきますよ。」
母の弁護をするわけじゃないけど、娘の私が思うには、単純に思い違いをしたというか、 払っていないことを忘れたということだと思うのだけれど、 お金を払っていなければ確かに「万引き」と言われても仕方のないことかも知れない。 こういうことこそ、すぐにご連絡をいただきたかった。 知らないところで、いろんなことが起こっている・・・
Tさんからは以前にも 「私は買物を頼まれて、品物をちゃんと渡したのに、自分でどこかにやっておいて “品物をもらってない”って言うし・・・」との報告も受けている。
またあるときは、母は朝と夜を間違えてTさん宅に電話を掛け 『外がこんなに真っ暗じゃ、買物にも行かれない』 と 言ったのだそうだ。 「今は夜中の11時だから」と言っても不安がって理解できないみたいなので、 Tさんは「お隣のYさんに聞いて確かめて」と言って、電話番号を教えたのだという。
「前は、毎週お孫さんが来て泊まって行ったから、そんなでもなかったけど、 最近は中学に入って部活で忙しいとかで、ぜんぜん来ないでしょう? 余計におかしくなってきたみたいで・・・ ときどき、様子を見に来てくれませんか?」とも言われていた。
今回も「洗濯機の水が出ない」と言っては電話がかかってきて、 見れば、単純に電源が入っていないだけだった、というような調子なのである。
いつも、いろいろお世話になっていた方なので、 私は至急、お礼の品に現金を添えて、ご挨拶に伺った。 もちろん、お隣と、大家さんにも同様に・・・
そして、路地売りのおうちの方には、菓子折りを持参してお詫びした。 ご主人は、その件を知らない(覚えていない)らしい。 しかし、そういったことが良くあるので、最近はサクラを雇っているとのことだった・・・
「お宅、鍵を付け替えているでしょう? あれだって、引越してきて早々、 “私の留守中に若い男が出入りしないかどうか見ていて”とか言って。」
発言は想像できないことではなかった。 なぜなら、それこそが別居の原因なのだから・・・
‘サザエさん’を夢見た私が甘かった。
私が小学生の頃から「留守中に誰かがうちに入った」と言っては 鍵を何度も取り替えていたが、子供の私にはそれを確かめることもできなかった。
自分の探し物が見つからなければ、必ず、誰かが忍び込んだ、という設定になっていた。 それはあるときはお隣であり、職場の同僚であり・・・ そして、私がレフティーと付き合い出してからは、 全てがレフティーのせいになってしまったのである。
女手ひとつで育てて来た母は、きっと、レフティーに私を取られたような気がして 寂しいのだろう、と思った。
そこで、結婚1年目に、部屋が3つある家を借りて同居を始めた。 一緒に住めば、きっと安心して、上手くいくだろうと考えていた。
ところが、同居を始めたその晩から、さっそく「現金がなくなった」と言って、 レフティーを疑ったのである。 現金はすぐに見つかった。 しかし、それさえも 「勘違いだと思わせようとして、レフティーがわざとやった」と言うのである。
母の被害妄想は毎日、朝から晩まで続いた。 私は毎日、母が見つからないというものを、朝から晩まで探してまわった。
こんな日々を過ごし、同居を覚悟で来たレフティーも、 翌年の春、とうとう、頭に500円玉大のハゲができてしまった。
私は相変わらず、毎日泣きながら、探し物をしていた。
そして3年目、親をとるか、ダンナをとるか、の究極の選択をすることになる。
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