Mother (介護日記)
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私は途方に暮れていた。
今朝、トイレに行くように促したものの、動けなかった。 うつぶせになるまでに1時間以上を費やし、そこから起き上がることができず、 這うと言っても上半身をお布団から乗り出した程度で力尽き、 いつのまにかウトウト寝てしまっているのだった。
起こしてみると、おなかが空いたというので準備をしたが、それでも起き上がることはできず、 こういう時には、寝たままでも食事を与えたほうが良いのか、 それとも病人が動こうとする気持ちを大切にして待ったほうが良いのか迷った。
結局、お昼になっても一向に起き上がれない。
と、チェックをしてみれば、オムツどころかパジャマまで濡れていた。 本人はもう、感覚がなくなっているのだろうか?
着替えは大変だった。 昨日の絹江はもっと大変だったに違いない。 夏、熱中症と腎盂腎炎になった時も、大変な思いをしたが、赤ちゃんのオムツ替えとはワケが違う。
おむつ替えのついでに、昨日もらってきた腰の痛み止めの座薬を入れることにした。
私は無力だった。 痛がる母を目の前にして、どうして良いのかわからなかった。
母はうつぶせのままで動けず、私はオムツを完全にはかすことができず、 前面はおへそよりも下までしか上げられなかった。 おなかが冷えるとイケナイので、取り敢えずシャツでかぶせた。 パジャマは片袖しか通っていなかった。
着替えさえ満足にできない・・・
みんなはどうしてるの? 痛がる時は無理にパジャマを着せなくてもいいの? 無理矢理歩かせるべきなの? ベッドの方がいいの? 頼むと誰かが来てくれるの? 私は仕事を続けてもいいの?
私は『介護支援センター』というところに電話をかけた。 事情を話すと『30分後に行きます』と言ってくれた。
2時過ぎに平川さんという女性がやってきた。 私は昨夜修正した母について書いたものを渡した。 こういう時に聞かれることはいつも決まっているものだ。 氏名、年齢、生年月日、既往症、家族構成、緊急連絡先、直系親族がかかった病名等・・・ やりとりする時間を短縮できる。
先月の13日に介護申請をし、27日に訪問調査があったことを話すと、 もうそろそろ認定が出ても良い頃ではないか、とのことで、 平川さんが市役所に確認してくれることになった。
介護認定が出ないことには、そこから先に進めない。 介助に必要なベッドやポータブルトイレなどのレンタルの手配もできない。 デイサービスと言われる入浴と昼食のサービスにしても、 計画書の作成・市役所に届出・担当者の決定と、具体的にサービスが始まるまでには 2ヶ月近くがかかるらしい。
起き上がることもできない母の状態を見たところで、 まずは明日、もう1度病院で診てもらうようにとのことだった。
何と言えば母が起き上がるだろうかと考えた私が、 「それじゃ、今からSPAに行こうか」と言ったら、いきなり表情が明るくなった。
驚くべきSPA効果によって、平川さんが帰った後、母はひとりで起き上がった。 そしてどうにかトイレまで歩いた。
時計はすでに4時半。本日初めての食事をとった。 葛湯、バナナ、ロールパン、ミルクティー。
その後、横になるとまた背中が痛いとうなりだし、 真っ青になった唇で『お医者さんを呼んで』と言い出した。
私は母が痛がるところをマジックで印をつけた。 医者に診てもらう時に参考になるかも知れない。 痛みの場所が変わるのもわかるだろう。
私は再び入院の支度を始めた。
前に作った『入院時に必要な物、あると便利なもの』のリストはとても役に立っている。 入院が決まってからじゃなく、日頃から準備できるものは詰めておくようにすればよい。 当日入れるべきものは、別のリストを作ることにしよう。
レフティーが帰宅して1日の様子を話した。 明日はレフティーの休暇なので、病院に連れて行くことになった。
レフティーが母の背中の痛みをチェックすると、さっき私がマークしたところとは違っていた。 痛みは移動しているらしい。 レフティーは『ゲートボールに行きたい、カラオケに行きたいと言う気持ちが大事だ』と言い かなり強引に母の上体を起こした。 とても痛がって泣きそうだったが、立ってしまうと歩くのは楽だった。
レフティーは『寝るまで椅子に座っていようよ』と言って、居間に連れてきた。 不思議なことに、椅子に座っている間は痛いとは言わなかった。
遅くなった夕飯を食べ終わると、自分で食器を片付けに行き、なんと洗い物まで始めた。
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