Mother (介護日記)
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夜中の2時に就寝したものの、3時前に母の声で起きた。 「ありゅちゃん、出ちゃったよ」と言ったのだと思う。 トイレに行こうとして掛け布団をはぎ、仰向けのままベッドの上を移動したものの間に合わず、 既にオムツが濡れていた。
今朝は7時過ぎに起床しなくてはならなかった。 昨夜、銀行に提出するための『現状報告』ともいうべき書類を書き上げたので、 近所の同僚に持って行ってもらおうと思い、メールでお伺いを立てたところ、 彼女は本日は休暇で『今、横浜にいます』とのことだった。^_^;
もうひとりの同僚とも連絡が取れず(そもそも朝は皆忙しいのだ) 駅まで行ったものの、彼女には会えなかった。(もしかすると出勤時間が違っていたかも)
自宅に帰ってお洗濯を開始。
母は、今日も激痛に泣きながら「病院に連れて行って」と言うが、 行っても治療のしようがない。
母は、起きる時と立ち上がる時に激痛が走り、 その度に「痛いよ〜痛いよ〜」と言って顔をしかめ、泣きそうになるのだった。
トイレの感覚が鈍っているようなので、こちらから定期的に連れて行くようにしている。 それでも動くたびに痛がって、またその痛みが恐くって、なかなか身体を動かせない。 仕方なく、屋外で使っている車椅子を廊下で広げて、 母の部屋まで持ち込み、ベッドの脇につけて母を乗せて行った。 (家の中で車椅子だなんて、どんなに広い家だろうと思うだろうが、 ちなみにここは民間の借家で6畳2間、4.5畳1間の平屋、13.5坪である) そして、トイレの中でも「痛いよ〜痛いよ〜」と、 か細い溜息を吐きながら、しばらく泣いているのであった。
『骨が潰れている』と整形外科医は表現したが、 「それって、骨折してるのと同じってことだよな?」と昨夜レフティーが言った。 身体の中心である骨がそのようであっては、さぞかし痛いだろう。
今日は今にも降りそうなお天気ながらも風が強いので、私は溜まった洗濯をしていたが、 途中、2度3度と小雨が降ってきて、その度に私は入れたり出したりしなくてはならなかった。
その間に、介護支援センターから電話がかかってきて、 先日来ていただいた平川さんが退職するので、これからは浅野さんに代わるとのこと。 介護を受けるに当たって、担当のケアマネージャーを本来は自分で選ばなくてはならないが まったくわからないので、浅野さんにお任せした。 介護支援ベッドについては、認定を待たずに手配をしてくれるとのことだった。 その際、どういうものを希望するのかと聞かれたが、私には何もわからない。 高さを変えられ、背もたれが動くタイプを『2モーター』と言い、 『3モーター』になると、膝の部分も上がるということだった。 私が『取り敢えず背もたれが動けばいいです』と言うと、 『それでは、2モーターで注文しておきます』と浅野さんは言った。
その後、義姉(腹違いの兄の、お嫁さん)から電話がかかってきて、 『最近、お母さんはどう?』と聞かれたが、それはその、この通りの状況を説明した。
その最中に、今度はケータイが鳴った。 先ほどの介護支援センターの浅野さんだった。 義姉の電話を一旦切った。 『ケアマネージャーが決まりました。○○にある、△△という会社の松浦さんです。 急ぎでベッドをお願いしたところ、25日の月曜になるそうですが、よろしいですか?』
え? もう、ベッドが来るの? このあいだの話しでは、まだずっと先だと聞いていたが・・・ 迅速な対応に感謝、というよりもむしろびっくりした。
状況が状況なので、介護認定を待たずに手配をしてくれたらしかった。 確かに、先日の平川さんのお話しでは、 自宅介護の家庭では、着替えやトイレの介助をしてはいるものの、 動かすたびにこれだけの痛みを訴える例は無いようであった。
それから義姉に電話を掛けなおしておよそ30分。 50代の義姉も実は骨粗鬆症気味でかかとが痛むので、 最近鬱気味で人恋しい母親には、なかなか会いに行けないのだという。 そんなわけで、うちの母どころではなかったらしい。 お母さんは、さみしくてひとりでは居られず、 毎日二人の娘や友達に電話を掛け捲っているとのことだった。 義姉のお母さんも、うちの母と同じくらいだったろうか。 お互いに慰め合い励まし合って電話を切った。
すると次にまた電話が掛かって来た。 今度は「ケアマネージャーに介護支援ベッドを頼まれた業者」からで、 月曜の納品の時間の希望を聞かれたが、特にないので『そちらに合わせます』と答えた。
そして今度は、銀行の同僚のKさんから電話をもらった。 『ロビー命』の私が繁忙日に休み続けているので、心配をしてくれたようで、 私は簡潔に現況の説明をした。 「顔が見れないとさみしくって」というKさんは、OGでありながらも、 パートタイマーとしては先輩に当たるからと、私のことをいつも立ててくれる。
みんなに心配かけてしまっているけど、ひとりひとりに連絡できず、 役席にも電話で手短かに話したキリだったので、 取り敢えず昨夜の書面をファックスで送ることにした。
それから今度は母の部屋の電話がなった。 近所のOさんである。 自身が身体障害者で歩行できないため、母がいつも呼ばれて通っていたお宅である。
病気の母を何度も呼び出すので、以前レフティーに怒鳴られ逆切れしたものの、 そこは年寄り、懲りずに電話を掛けてきていた。 母はもう、自分の部屋の電話を取ることもできないので、代わりに私が出ると 『あぁ、若奥さんですか?』と気まずそうに言った。 母の状況は以前に増して悪くなっているのだが、見えないので知りようもない。 『声だけでも聞かせて』と言うので、コードを引っ張って母の枕元に電話を持って行った。 『娘さんがいいと言うなら遊びに行くよ』と、そんな話しをしたらしく、 「Oさんが来たいって言ってるけど?」と母が私に聞いて来た。
来るなら来てよ、この状況を見てってよ、母はあなたの暇潰しにはもう行かれません・・・と 私は半ば投げ槍に思って許可をしたが、ちっとも来る気配はない。 ヽ( ′ー`)ノ
はぁ、お天気がハッキリしないので今日はお散歩は中止。
母は今寝ているが、起きたらまた、トイレに行くために痛い思いをしなくてはならない。 動けないのは困るけど、痛いのが一番辛い。 起き上がる・立つ・歩く・トイレに座る・立つ・歩く・座る・横になる・・・ このすべて、ひとつひとつの動作が激痛につながるのだ。
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