Mother (介護日記)
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2002年03月25日(月) 介護支援ベッドとトイレの扉

昨晩は、母はめずらしくトイレに起きなかった。
目覚めた時、一瞬『やっちゃった、朝まで寝てしまった』と慌てて母の様子を見に行ったが
オムツは濡れていなかった。

痛がって眠れない母に即効の薬はなくて、
昨晩は、きういからいただいたアロマのジェルを、
背中と足の裏に塗ってあげたのが良かったらしい。


11時頃だったか、福祉用具のレンタルショップから電話が来た。
『あと10分ぐらいでそちらに着きますが、よろしいでしょうか?』

電動リクライニングベッドだ。

母はまだパイプベッドに寝ていて、
その4畳半の部屋には、まだテレビと衣類の3段カゴなどがそのままである。

『それでは、午後からにしましょうか?』と言われたが、
今朝だって、起き上がるのに大変な思いをしているのである。
少しでも早く、持ってきていただきたかった。

『ベッドはすぐに出ますが、テレビは自分だけではちょっと・・・』 と言うと
『それぐらいでしたら』 と了承してくれた。

それから、私は大急ぎで母を居間に連れて来て、椅子に座らせて待たせ、
母の部屋のお布団と雑貨を絹江の部屋に運び込み、パイプベッドを廊下に出して、
さらには、チカラを振り絞ってテレビとその下の台を運びだした。
やっぱり、ベッドのレンタル業者に、部屋の模様替えを手伝わせるわけにはいかない。
そして、私は掃除機を掛け始めた。

その最中に、何やら母の声がするので行ってみると、
『切れちゃったよ、電話だって呼んでるのに・・・』と、はぁはぁと苦しそうな顔であった。
母としては、かなりの大声を出していたのだろうけど、私は気付かなかった。

また掛かって来るかも知れない、と今度はそれを気にしながら掃除機を続けた。

すると、案の定かかってきたが、ファックスであった。
NHKから、先日の障害者認定に伴い、受信料の減免が受けられることになったという確認だった。

部屋の片付けに戻ると、来客があった。
介護支援センターの浅川さんだった。
先日、訪問してくれた平川さんは退職されたとのことで、担当が替わったのだと聞いていた。
明るくて、ハキハキした、大きな声の女性だった。50前後か。
今からベッドが来るところなのだと、迅速な手配に感謝して報告し、母に会ってもらった。
『近くまで来たついでだったので、急でごめんなさいね』

5分も話さないうちに、ベッドが到着した。
60代の夫婦という感じの業者だった。

『新品ですよ、良かったですね。3モーターだし。』
小柄でキレイな奥さんは、そう言いながら準備を始めた。
3モーター? それなら膝の部分も上げることができるんだ、良かった。
ご主人の方はダンディーだけれど、クールで無表情な方だった。

浅川さんは、仕事柄当然ながらこの業者とも顔見知りなので、挨拶を交わして帰って行った。

うちは狭い玄関、狭い廊下、狭い部屋なので、
病院並みの大掛かりなベッドを組み立てられるだろうか、と心配をしていたが、
玄関の前に大きな青いビニールシートを敷いて、
そこで一部を組み立ててから家の中に入れるとのことだった。
たくさんの数をこなしているのだろう。 二人とも手際の良い作業のように思えた。

そのうちに絹江が部活から帰宅したので、
遊びに行ってしまう前に手伝ってもらって、パイプベッドの方を解体した。

その間、母は泣き声とも取れる溜息をついたまま、テーブルに伏していた。
『ほら、ステキなベッドが来たんだよ。 これで起き上がるときも楽になるよ』 と
励ましても、母には一向に届かないようだった。

ベッドの組み立てが終わり、
操作を教えてもらって、契約書にサインと捺印をするまでに1時間ぐらいだったろうか。

業者が帰り、絹江も友達の家に遊びに行ってしまった。

まずはベッドにお布団を載せてから、母を居間から連れて来た。

溜息ばかりの母も、一瞬、『あら、すごいのが入ったのね〜』と表情を明るくした。

母をベッドの淵に座らせたものの、横向きから身体の向きを変えることは、やっぱり大変だった。

モーターで背もたれを上げたり、膝の部分を持ち上げたりするものの、
私も母も試行錯誤であって、どうすれば最小限の痛みで体位の移動ができるか悩んだ。

やっと落ちついたと思っても、身体を動かした後というのは例によってしばらく痛みが続く。
『今日もお天気が良いから、後でお散歩に行こうね』 と言っても、
『お散歩? いい、いい、それどころじゃないよ・・・』 と、ただ泣くばかりだった。

私はそれに付き合ってばかりもいられず、母の部屋のレイアウトを考えなくてはならなかった。

介護ベッドの頭のところに、母の衣類の3段カゴがなんとか納まった。
介護ベッドの下の部分は、支柱やらモーターやら、リモコンのコード等があって、
収納庫を置けるようなスペースはまったくなく、かろうじて掃除機が入る程度だった。
温風ヒーターは、風が直接顔に掛からないような向きで、前面を大きく開けておく必要がある。
そして、テレビを置くスペースがなくなった。
なんと言ってもこの部屋には、洋服ダンスが1棹置いてある。ヽ( ′ー`)ノ
テレビはみんなと一緒に居間で見るようにして、当面は絹江の部屋に保管することになった。
解体したパイプベッドは物置に運んだ。

とにかく、あっちにもこっちにもはみ出したものがあふれて、
まったくどこから手をつけて良いのかと途方に暮れてしまった。

片付けはテキトーにして、暖かい時間のうちに買物に行かなくては・・・
特に必要な物があるワケではなかったが、1日に1回は外に連れ出して、
気分転換をさせなくては、メソメソしている母を看ているこちらも鬱になってしまう。

半ばキレ気味になりながらも、母を急かし、やっと歩き始めた時には3時だった。

車椅子で動き始めれば、母は別人のように元気になった。
『あぁ、桜が満開だね〜』

そして、スーパーでは『鮭が食べたい』等と積極的になり、
老人会のお友達にも会えて喜んでいた。
『やっぱり、家にいるばっかりじゃ、ダメだねぇ』

帰宅後、母を座らせる前にトイレに行かせたが、
この時トイレの扉が邪魔に思えたので、思い切って扉を取ることにした。
母の部屋は、トイレの扉が開いた時に死角になる場所で、
母がトイレから出ても、トイレの扉を閉めないことには、自分の部屋には入れない。
しかも、介助する私と一緒に動くので、かなりストレスだった。

プラスのドライバーで2か所6個のネジをはずせば良いだけだった。
その後は、余っているカーテンを張っておいた。

一般の家庭では、かなり思い切った策であり、
レフティーや絹江が反対するだろうかと気になっていたが、二人とも、何も言わなかった。
それは、母と私に対する愛情だと受け取っていいと思う。


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