Mother (介護日記)
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主治医の所見では、介護も障害者も、再申請をできるようなレベルではない。 母の圧迫骨折はもうじき回復するのである。(痛みがとれて、あとは背中が曲がるだけ)
そうなると、借りたベッドはどうなるのか。
通常のレンタルでは、あの3モーターの介護支援ベッドは、¥17500/月 である。 介護認定が下りれば、その1割、¥1750 の負担で済むが、 このままでは2月時点を基準にして「自立」と認定されるかも知れない。
実際のところ、昨夜すでに母はひとりで動いていた。
夕飯の後、私が自分の頭を整理すべく日記の更新に夢中になっていたら、 母が食器を片付けにキッチンにやってきた。 それだけ気持ちも体も回復してしていたのだった。 それを見て、余計に私は落ち込んだ。
レフティーに相談したところ、 いつまた急に母の病状が変化するかはわからないので、 もし仮に全額自己負担であっても 2、3ヶ月はそのまま借りていてはどうか、とのことだった。
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認定審査会は毎週木曜日の夜に行われるということで、 今日はすでにその認定結果を知ることができる。 通知が郵送されるのを待たずに、介護支援センターを通して調べてもらうと、 数分後、浅野さんから折り返しの電話が来て、要介護1になったとのことだった。
「1が出ましたから、ベッドのレンタル料の心配は要りませんよ。」
『要介護1』とは、立ち上がりや歩行が不安定。排泄・入浴などに一部介助が必要。
確かに妥当な認定だと思う。
歩行では、誰か、もしくは何かにつかまらないと不安定だ。 それでも3分以上歩けば疲れてしまう。 少しの動作であっても、息切れがする。
昨日の検診の後、SPAに連れて行ったが、 最近では母は浴槽の中に入る時には、私が抱っこをしている。 浴槽の段に座り手すりを掴んでいたのに、ふとした拍子にふわっと体が傾いたので、 あわてて支えに行ったのだった。 これではとても1人で湯船には置けない。
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今朝は義姉からの電話で起きた。 そして、激動の10日間について話した。
突然の退職に驚いた元同僚からのメールも来ていたが、返事が遅くなってしまった。 この退職劇を、彼女達はどう思うのだろうか。
顔も洗わず、3時になってやっと初めての食事を摂っていたところ、 ケアマネージャーの松浦さんの訪問を受けた。
母は、ベッドの上でアルバムをめくっていた。 絹江が2、3歳頃のものである。
松浦さんと私との会話が聞こえているのかいないのか、 顔を見て話し掛けられないと反応がなかった。
母には介護支援センターだの、ケアマネージャーだのと言っても、 理解できるわけではないから 「これからうちの為に、いろいろとお知恵を貸してくれる方だよ」と紹介しておいた。
私が仕事を辞めたことや、 レフティーが急性胃炎になったことをそばで聴いていても、なんの反応もなかった。 たぶん聞こえていないのだろう。 母は聴く気になって聴かないと理解できない。
今後、我が家の介護サービスについては、 この松浦さんに計画書の作成をお願いすることになる。 その委託に関する届出書に署名捺印をすれば、市役所に提出してくれるとのことだった。
要介護1の場合、1ヶ月に16万5800円の支給が受けられるので、 この中で訪問介護や通所介護、福祉用具貸与などのサービスを、 うちがどのように受けるかを考えてくれると言う訳だ。 これは『16万円分のサービスをタダで受けられる』というのではなくて、 『16万円分までのサービスを1割の負担で受けられる』という意味である。
うちは現在、16万円のうちの17500円をレンタルベッドの為に使用し、 自己負担が1750円であるということになる。
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