シオの日記

2002年11月06日(水) 特徴・ナルシシズム・他者の鏡・自己認知

人にはそれぞれ特徴がある。
それは自分が気づいていることであったり
全く気づいてないことであったり。
意外と無意識でやっていることが
その人の癖だとか特徴だとかって言われるから
「特徴」と自分より他の人のほうが知っていたり。
自分の事は自分が一番知っているなんて
自分の事は自分で何とかできるなんて
自分の事は自分が一番鈍感だなんて


特徴ったって、総合的な雰囲気とか
意外と小さなことだったり、漠然としたことだったり
外からじゃなければわからないことが多かったり。

・・・最近は電車に乗ってる間中、
いや、もっと言えば電車を待ってるときからず〜〜〜〜〜〜っと
ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと鏡を見つづけるおねぇさんがいる。
たぶん、あれは「なるしすと」なんだと思う。

「ナルシシズム」って自己陶酔症って精神分析学で作り出した概念。
(↑辞書で調べたんで確認よろしくv)

あれはあれで、自分のことをよく見てると思う。
自分で自分の姿を眺めて何が楽しいかよくわからない。
逆に恥ずかしいとさえ思うが、そう言った感覚は
当然わかるはずもなく。
お近づきにはなりたくないな♪と思わせる程度には(汗)

しかし、自分のことをよく見てるから
そう言った外から見た自分、というものに敏感なのではないか?
とも思う。鏡に映った自分は自分を映している。
しかし、同時に逆なのだ。
つまり、鏡に映った自分というのは客観性を持ちつつも
全くの客観ではなく、自分から見た逆であって、
不思議に感じざるを得ない。

・・・自分で読んでいてもわかんなくなった;
・・・・・・つまり人が読んでもわかるわけがない。
・・・・・・・・・(諦め)(苦笑)

結局。
人から「貴方は〜ところが癖なんだろうね」と言われたのが
ひどく驚いたということで。

私は、多分自分本位な人間であり、
自分がよければいいや、という生き方を
敢えて選びたいと思った。
人と違うことを認識することと
「自分」という個体を一般と別物として考えろ、ということを
一時強いられていた時期があった。
実はわりと最近、そのことを家族の者から
聞かされて、そのせいなんだ、と気づいた。

「自分」や「自己」ということに対して、
何故?みんなはあまり持っていないのか?
何故、一緒であることとに価値があるのか。
何故?「自己」に対してこだわるのか。

結果的に自分に戻ってくる疑問。
何故。が多いと思う。
逡巡して、曖昧さに溺れてしまうのも一つの道として
それはそれで構わないと思うならば、それで構わないと。
何故。言えないのか。

とある人は、私は強いという。
理路整然と話すという。
しかし、どうだ?この思考の混乱は。まとまりのなさは。
けれど、そうやって思われるということに対して、
揺れ動く意見や考えがあるものの、
私自身の根本にある「私」が
したたかに「ココ」にあるから。

それを羨ましいと言われたって、
努力が足りないと思ってしまう私がいたって、
誰もが未熟なままだから人間であって、
だけど、そこから上を目指すことに対して
貪欲なまでに求める心とか、
生きることを選択させられることとか、
泣きながらも真っ直ぐに前を見ることを
強いられることがあるから。

そう強いているのは自分自身だとしても。

可愛げがない自分を罵倒するも。

それもすべて、受け入れられる自分が。
仕方ないと言っても、それも自分だから。
他者からの意見は他者からの意見で。
自分というものを中からも外からも
認知できるようになるのが
自分を知るということではないか。


・・・こんなのが私の頭の中。


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