シオの日記

2003年04月19日(土)

これは一種の羨望。
愚痴。

私は歌が好きだ。
全く練習も、集まりもしていないが、
一応バンドの歌歌いとしての私も『一応』ながら存在する。

で、

それは私が歌が好きで。
多くの人は歌は聞くことが主で好きだと思うけれど、
私は歌を聞くのも歌うのも、同じだけ好きで。
だから、歌える機会がすごく嬉しくて。


が、しかし。
自覚はしている。
けして上手いわけじゃない。
好きこそものの上手なれ、とはいうものの。
望めば限界なんてないという方もいらっしゃる。
確かに、限界がココだ!と思ってしまったら
ソコが限界になるだろう。
でも、それでも物事には『限界』があって。


あのですね。
高音っていうのは、無理したらある程度出るんですよ。
声帯を短くして歌うってことなんで。
しかし、低音。
こいつは声帯が長くないと出ない、と。
つまりは、『生まれつき低音の限界がある』ってこと。

低音でねぇ(泣)


しかもですね。
最近話した話題でもあるんですが、
男の人の歌が上手いのって、めちゃめちゃポイント高い!(笑)
某かとう氏の甘い声にべた惚れです!(笑)
でも、女が歌うまくったって、フツーなんです。
せくすぃな声が出ない!!(笑)


なんだか不公平だ!(苦笑)


だから、というか、なんというか。
ボーイソプラノに憧れていた。
単に甲高い声じゃなくて、
どことなく柔らかくて聞きやすい声。


視覚的情報の処理の方が早いし簡単なため、
どうしても視覚的情報に便りがちだけれど、
声ってその人の特徴というか、
少なくとも身長がわかるということが実証されているらしく、
その人を形作る大きな要員の一つだ。

視覚が利かない電話だとそれがよくわかる。
でも、いつもは視覚にどっぷり頼りきってる観があるので
やっぱり物足りなさというか、結局電話は嫌いだし。

それでも、私が声にこだわるのは、
聞いて!みたいなところ。
届いて!みたいなところ。

思ってることって全部形にならないからかな?
少しでも上手になりたいと思うのは、
少しでも伝えたいと思うからかな。
伝えられないものが多すぎて
こぼれる吐息も、空気を振るわせる言葉も、遠くまで響く音も、
悔しくて、悔しくて。
何処までも続く空に、投げかける

それだけ、たくさんのことを伝えようとしてくれる
あなたの声が大好きです。


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