日記でもなく、手紙でもなく
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2001年08月05日(日) 志賀島

 本当は、今日の午後会う予定にしていた友人がいた。
 一昨日(金)の、ちょうどGさんとの昼食時に、「申し訳ないが日曜日午後は、楽しみにしていたのだが、どうしても外せない用事で会えなくなった」という電話があった。
 午前中に、お礼のため人に会う用事を済ませると、福岡空港へ行く時刻まで、ずいぶん時間の余裕ができてしまう。

 福岡の街は、昼間だと海からの気持ちよい風が、特に賑やかな繁華街をも吹きぬけて行くので、外でも陽射しの遮られたビルの日陰にいると、結構暑さを凌げたりする。東京だと、このような風が吹き抜ける場所は少ない。暑い九州の夏とはいえ、福岡にいた頃暑くて死にそうに思ったことがほとんどなかったのは、若かったということだけではなく、おそらくこの海からの風が、市内を吹きぬけていたからだろう。
 日陰でそのような風に吹かれると、福岡に住んでいた時に行ったきりになっている志賀島まで、海風に吹かれて、行って戻ってくるのも良いのではないか、などと思い始めた。

 福岡ビルの地下で昼食の後、そのビルと天神交差点斜向かいにある、フタタという店の前から、博多埠頭行きバスに乗る。埠頭はバスに乗った位置から、ちょうど北東にあたる場所なのだが、結構一直線に近い道路を走っていくので、あっという間に着く。
 博多湾遊覧一周などという比較的派手な船に乗るようなコースもあるものの、福岡市営定期船の志賀島行きに乗り込む。船の後方2F席は、海風を感じられる船外デッキになっている。こういう場所はえてして、陽がそのまま当たって暑かったりするのだが、うまく日陰になるように作られている。

 志賀島に近づくにつれて、潮風が冷たく感じてくる。博多埠頭から途中、志賀島のすぐ手前で2ヶ所ほど寄港し、30分で志賀島の埠頭に到着。志賀島に来て、ではどこに行くか。特にこれというあてはなかったのだが、港の待ち合い所を出ると、大きな鳥居が見えたので、港には欠かせない航海安全の守り神を奉った神社があると思い、その方向に歩き始める。
 通り沿いに民家が並ぶ、ごく普通の道だが、旅館やちょっとした飲食店などが、僅かに混ざった、港の道。さすがに陽射しが強い。
 この通り沿い、海からの風が吹き抜けていく通路になっているようにも感じる。

 民家が尽きるところに、その志賀海神社がある。
 階段の手前に清めの砂。
 この階段を上がっていくと、右手の海のほうからの風がこんもりした木々の間を吹きぬけてきて、気持ちがよい。

 海上守護の決して大きくはない神社ではあるが、人が常駐していることもあり、荒れた感じはない。しかも、千年以上続く神社と書かれている。太宰府天満宮が1100年の歴史をもつ神社でもあり、ほぼ太宰府と近い時期に設立されており、しかも、比較的長かった平安時代、しかもその時代になってからちょうど100年強くらいを経た年から続いているとすると、京都にある一部の神社などよりも、ずっと古い創設だということにもなる。
 当時でも、那の津から志賀島一帯というのが、やはり要地であったことが偲ばれたりもする。
 この神社、鹿の角が数多く奉納されていることでも有名。

 蝉の鳴き声を背に受けながら階段を降りて行く時、久しぶりに目にする黒アゲハ蝶。特に、羽を大きくひろげたままゆっくり飛んでいる姿が見られたのは珍しい。

 道路に出て左手のほうへそのまま行くと、堤防から浜辺のほうに降りて行けるところがあった。
 船が志賀島まできたところは博多湾で、一般的に静かな海ではあるが、この浜辺から見える海は、まさに玄界灘。浜辺で岩についた貝を取っているような女性が2人。なかなか手を休めない。
 海の水は博多湾よりも、さすがにずっと透明度が高い。僅かな砂地もあるが、大半は大きな石の多い浜辺だ。海水の中の石ころも、透き通った水の中にくっきりと見える。
 この玄海灘を渡って吹いてくる風、これがまた天然の冷気を保っていて、午後3時頃の陽射しは結構まだ強く、その直射日光にあたっているにもかかわらず、この浜辺にいると一切暑さを感じないくらい。
 恐らく子供の頃と変わらない、そしてずっとずっとその昔と変わらないような、そんな海辺の風景の中の安らぎ感。

 乗船場のすぐ手前で、バス停はどこでしょうかと、たぶん高校生くらいの若いカップルに尋ねられてしまう。反対を見ていたらしくて、私のほうからだと、2人が来た道の逆に、すぐ見えているのだが。
 戻りの船の中では、室内の椅子席でごろんと横になり、うとうととしているうちに到着。博多での小さな旅になった。


riviera70fm |MAIL