そろそろ寝ようとおもいながら、この間図書館から借りてきたまま未読だった 下田治美の『愛を乞うひと』をなにげに手に取る。 その時点で午前4時だったから もうやめようやめようと思いながら午前7時
そこで洗濯機をまわしまた表紙をあける
気がつかなかったが 去年原田美枝子が二役で虐待母とその娘を演じていた 映画の原作だと途中で気付く。
すさまじい虐待。そのせいで娘は股関節も膝の骨もやられ歩行に少し難がでるほど。 と、7時半に突然 どどどどどどど・・・・と走る音と小さな男の子の すごい泣き声(叫び声)が聞こえた。 読んでいる最中の本が本だけに 「え?」と身体が止まる。
どどどど・・・・・・・・・ どどどど・・・・・・・・・・ そして 大人の男の叱る声。男の子は室内を走って逃げているのだろうか。 おもわず玄関をあけて様子をうかがう。 部屋に戻って窓をあける。 ついさっきまでの罵声が しんとした朝の空気だけになる。
まさか とは思うがあってはならないことが今多いだけに。
この本には虐待という文字は使わず「せっかん」という。 そう、昔はせっかんっていった。 でも何を伝えるべきかを知っている親は こえてはならぬ線を知ってると思う 伝えるものはなく ただマスターベーションな暴力が虐待だろうか
夏に受けたセミナーで ある女性が 母親から旅立てないことに ひどく怯えていた話しをしたことを思い出す。 彼女は子供の時から執拗に限度をこえた「お灸」をすえられたらしい。 幼い女の子に対してするには異常ともいえるお灸の数とその温度で 身体と心に傷を受けた彼女は、母親の気に障らないように 喜ぶように 誉められることだけに神経を注ぎながら大きくなり 30を過ぎ家庭をもってもなお まだ母を怯え自分を諦め泣いていた。
愛されることを諦められたらもっと楽だろうに それができるくらいなら 世の中の病の半分以上はなくなるんじゃないだろうか それができないから とことん退廃的にならずにこの世は持ちこたえているんだろうか
洗濯ものをほし 午前9時 読み終えた本を閉じる 自分の未来に シャッターを下ろしたら希望はそこで止まる。 下ろさなかった主人公は 自分の足で歩き出す。
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