:::排出系列:::
俺が明日死んだって、地球は回っているんだから。
あたしを連れて逃げて良いよ その黒い車でどこかに連れて行って 疲れたら休んで そしてまた走りだそう * 最近詩を書くことに少し疲れているので、コラムでも。 あたしが依存しているものについて時々考える。 まず、音楽。 音楽がなかったら、あたしは発狂していたと思う。 しかしいわゆる『癒し系』などと呼ばれる音楽は苦手だ。 あたしはパンクやロック、ニューウェーブやオルタナティブ、ゴスなんかなら 歓迎して聴くけれど。 音楽は時にあたしの代弁者となる。 たまっていた鬱憤が表現されたり、新しい何かを導いたりする。 だから音楽なしの生活は考えにくい。 次に他者への依存。 他者なしでいると辛くなる。 特に男がいないと潰れるだろう。 こうやって考えてるとあたしはあたしの周りに存在する あらゆるモノに依存してる。 列挙したらキリがない。 心理テストなんかで、いろんなモノがあってあなたはなにから捨てる? みたいなのがあるじゃない? あたしはあれが選べない。 どれも大切で捨てられない。 生か死の極地にいれば迷わず食料を得るかもしれないけれど。 愛があったらなにもいらないって言う言葉はちょっと信じられない。 余程愛されたいんだなって思うくらい。 そりゃあたしだって愛されたいけど生きたい。 自己愛だけで満足できるほど人間ができていないし。 ああ、でも、自己を犠牲にしてまで他者を愛せるのはすごいことかもしれない。 いつの間にか論点は愛へと変わってましたが。 そう、依存。 依存って苦しいよね。 抜け出すときが。そして結局また別の依存を探してしまっていたりして。 でもね、依存にも許容範囲があるんじゃないかって思う。 自分が依存してるモノには、そのものからも依存されてるんじゃないかな。 他者の依存を受け入れて初めて、依存は別の媒介となるんじゃないかと思う。 * 果てを見た 空はまだそこで待っているから 追いつくまで休まずに居られたら それはもう辛くなど決してない
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