鼻くそ駄文日記
目次へ|前へ|次へ
2001年08月24日(金) |
頭ごなしな先入観――ベーコン的イドラからガダマーの先行判断へ |
ぼくらにとって先入観とはどんなものなんだろう? 今日はそれを考えてみようと思う。誰も読まないポエムを書き続けるのもいいけれど、たまにはこんなことを書くのもいいだろう。どうせ、誰も読まないんだし。 ぼくらは、新しいものに接するたびに先入観を持つ。警察官や学校の先生のような聖職者でも「こいつはむかつくツラだなあ」とか「この女の子はかわいいなあ」と思ってしまうのだ。これは人間である以上、否定できない。 問題はこの先入観をどう扱うかである。 ベーコンは先入観をイドラ(偶像)と決めつけ、否定した。先入観というのはあくまで「偏見」であると断定し、先入観が正しい知識を獲得することへの妨げになるとしたのだ。 これは、警察官が「こいつはむかつくツラだから、拷問をしてでも自白させよう」と先入観で考えて行動してはいけないということだ。学校の先生が「この女の子(生徒)はかわいいから、特別扱いしてあげよう」と考えたらろくなことにならない。このような例は実際に起こった事件などを踏まえてもおわかりいただけると思う。 つまり、ベーコン的思考法では、先入観は捨て去るべき偏見なのである。そして、この考え方はいまでもひとつの「道徳」として残っている。 たとえば、「あたしは男の子は第一印象でしか見ないよ。第一印象でやだなって思ったら、絶対に口をきかない」という女がいたら、ぼくは間違いなく張り倒す。ぼくの道徳心が、そういう女がのうのうと生きていることを許せなくなるからだ。 しかし、そうやって捨て去るものと考えられている先入観を「捨てなくてもいいじゃん」とエコロに考えている人もいる。ガダマーだ。 ガダマーは、ベーコンが断定した「先入観は偏見だ」という考えかたを否定した。 「先入観に偏見があるのは認めるよ。だけど、物事を知るために必要な正しい先入観もあるんじゃないかな。はじめに何かを知っておかないと、物事は深く知れないでしょ」 簡単にまとめると、このようなことをガダマーは言った。 たとえば、大リーグのシアトルマリナーズというチームがいま日本では人気がある。そして、シアトルマリナーズを応援しているほとんどの人は、いきなり何の先入観もなしにシアトルマリナーズを応援しはじめたわけではない。日本人初の大リーグの打者、イチローがいるチーム、という先入観をシアトルマリナーズに持っていたから、応援するようになったのだ。そして、もし「イチローがいるチーム」という先入観がなければ、日本人の多くはシアトルマリナーズを応援することはなかっただろう。 このように先入観がなければ、物事を深く知ることはできない、とガダマーさんは考えたのである。 そして、ガダマーはそうやって先入観を持って物事に触れてから、その先入観が変わることを指摘している。 そしてここからが大切なのだが、この先入観が変わるときに、自分のものの見方の一面性を自覚し、自己を修正することができるのだ。 すなわち、先入観を持つのはいい。ただし、「あたしは男の子は第一印象でしか見ないよ。第一印象でやだなって思ったら、絶対に口をきかない」と言うバカ女(あ、これも偏見かも)では、なにひとつ知ることはできないが、ここで第一印象がいやでも口をきけば、新たな可能性が生まれると言うことだ。 頭ごなしに決めてもいいけど、頑固になるなよ、ってことである。
|