鼻くそ駄文日記
目次へ|前へ|次へ
2003年08月21日(木) |
残暑夏休みざんしょ企画6 |
小説です。
『いっぱい』
おでん臭いコンビニを出て、初夏の匂いが微かにする道を自転車で飛ばす。横では真沙美が自転車をこいでいる。 「せっかくだから、一緒に公園でおやつを食べよう」 真沙美がぼくのことを、好きだとかきらいだとか、恋愛感情はどーのこーのとか、そんなことはどうでもいい。 ただ、真沙美がぼくを誘ってくれたことが嬉しかった。 少なくとも、真沙美がぼくを一緒にいてもいい人間として見ていてくれているようだからだ。 教室では、ぼくと真沙美の接点は全くなかった。 一回ぐらい話したかなあという程度。 席も近くになったことがない。委員も一緒にやったことがない。部活も全然違う。 それなのに、真沙美はぼくに話しかけてくれた。 もし、真沙美が目に付くコンビニの雑誌コーナーで立ち読みしていれば、ぼくはコンビニに入ることすらためらったかもしれないのに。 天気のいい日曜日なのに、公園には誰もいなかった。自転車を止めて鍵を抜く。横では真沙美が鍵を抜いている。真沙美の髪の匂いがした。 「このベンチに座ろうか」 ハンカチでおでこを拭きながら、真沙美はベンチの端に座る。ぼくは真沙美の隣にコンビニの袋を置いた。本当はそこに座りたかったが、座れなかった。 「勉強してる?」 ぼくが買ったのと同じチョコレート味のアイスのパッケージを真沙美は開けた。つられてぼくもアイスを真沙美の隣のコンビニ袋から取り出す。 「うーん、あんまりしてないな」 勉強してる、と訊かれて、いっぱいしてるよ、と答えられる人にお目にかかりたいもんだ。ぼくは、たくさん勉強しないといけないことになっている受験生のこの時期でも、あんまりしてないとしか答えられない。 「あたしもそうだな。しなきゃいけないとは思うけど」 「なかなか進まないよね」 「わからないとこあったら、やになっちゃうし」 「そうだね」 思いの外、会話はスムーズに進んだ。 ぼくは真沙美とスムーズに会話をしているうちに、公園に誰もいないことが悔しくなった。 いろんな人にいまの自分を見てもらいたい。 こんなにかわいい女の子とふたりでおやつを食べている自分を。 うらやましそうに見てもらいたい! この男、モテるんだなあと思われたい! かわいい彼女つれてるなあと言われたい! だけど、誰も通らない。ふたりだけの空間。 アイスを食べ、チョコレート菓子を交換しながら食べた。 ぼくは真沙美の好きそうなお菓子を買っておいてよかったと思った。 勉強の話が一段落した。真沙美は、板チョコを手で割ると、なんでもないことのように訊いた。 「弘晃くんってクラスで好きな女の子はいるの?」 「え?」 ぼくの頬は、熱を出したときのように熱くなる。ぱっと靖子の顔が浮かんだ。 「特にはいないよ」 だけど、それが靖子だとは言わなかった。言わないほうがいい予感がした。 「あたしはいるよ」 真沙美はいたずらっぽく笑う。 なんだか、急にいやになった。ここまで話しているのがすごく楽しかったのに、これ以上真沙美と話したくない。奥歯に力が入る。 「誰?」 誰なんだよ、ちきしょう。 「今度教えるね。じゃあ、帰ろうか」 真沙美は最後の板チョコの一欠片を食べた。 「一緒におやつ食べてくれて、ありがとうね」 真沙美はそう言って、自転車にまたがった。公園を出ればぼくは左に曲がるし、真沙美は右だ。 やけにペダルが重い。もっとゆっくりこぎたい。なのに、真沙美はすいすいと自転車をこぐ。お陰で、すぐに公園を抜けた。 「バイバイ」 ぼくは、道を左に曲がると、真沙美を見たくてしようがなかった。だが、振り返らなかった。振り返ってはいけないと思った。そこでもし真沙美も振り返っていれば、ぼくが振り返ったのがばれる。それがいやだった。 それにしても、真沙美が好きなのは誰なんだろう?
|