鼻くそ駄文日記
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2003年08月22日(金) 週末なのに夏休み企画7

小説です

  『崩れたハンバーグ』


 小学校には「道徳」の授業がある。子供相手に人の道を説いてどうするんだと反論もあるが、杉下は子供だって一人前の人間だから「道徳」の授業を行うことは意義のあることだと思っていた。
 子供たちには、大方この道徳の授業が好きだった。教材としてテレビが見られるし、何よりも試験がないからだ。通知表も道徳の課目は評価を免除されている。
 杉下のクラスは、いま、テレビを見たあとの感想文を書いている。杉下は感想文を書いている児童を見ながら、今日のテレビの内容を思い出していた。
 テレビのタイトルは「崩れたハンバーグ」。
 給食を配膳しているとき、ひとつだけハンバーグの形が崩れていた。クラスはこの崩れたハンバーグを誰が食べるか押し付け合いになった。そして、最終的にはクラスでいちばんおとなしい女の子のところに置かれてしまった。そんな内容だった。
 杉下はそれを見て、もし自分のクラスでそんなことが起こったら、おれが黙って食べるだろうなあと思ってた。自分が我慢すれば済む話なら自分だけがいやな思いをすればいい。それが人間の生きる道というものだ。
 児童に感想文を発表させる。
 まず、美樹子。
「わたしだったら、わたしが崩れたハンバーグを食べたと思います。なぜなら、崩れたハンバーグを食べた子が悲しい顔して食べるのを見るのがつらいからです。わたしが平気な顔をして食べたほうが、わたしにとっても、他のみんなにとってもいいことだと思います」
 次に英二。
「ぼくも崩れたハンバーグを食べると思う。だって、自分より立場の弱い人に無理矢理食べさせるのはよくないからだ。ぼくはそう思う」
 杉下は教え子の発表を頷きながら聞いていた。児童が自分と同じ感想を持ってくれたことが素直に嬉しかった。発表が終わるたびに「そうだな、先生もそう思うぞ」と何度も言った。
 しかし、その気持ちもすぐにぶち壊しにされた。
 康平に発表させてしまったのだ。
 以前から、康平の道徳の時間の発表は問題があった。
 大人ぶりたいのか、単にひねくれているのか、設題の意図に反した発表をしてしまうのだ。
 康平は杉下の目を見ないで発表をはじめた。
「ぼくなら、崩れたハンバーグは食べません。崩れたハンバーグは、犬の餌みたいで汚いからです」
 教室が沈黙する。
 杉下は困った。
 普段の康平はおとなしくて勉強もできるいい子なのだ。
「みんなとは意見が違うようなので、何か質問はありませんか?」  
 沈黙に業を煮やした康平は言った。自分が変わったことを言っているという自覚はあるらしく、それについて何か反応がほしいのだ。
 美樹子が手を挙げた。
「押し付けられた女の子がかわいそうだとは思わないのですか?」
 康平は嬉しそうに答える。
「思います。思いますけど、もし、自分がいやな思いをするなら、人にしてもらったほうがいいと思うのも人間の気持ちだと思います。じゃあ、美樹子は本当に崩れたハンバーグがあったら、自分から喜んで食べますか?」
「喜んでは食べないかもしれないけど、他の人が我慢するぐらいならわたしが我慢します」
 杉下は、他の児童が康平の意見に同調する前に止めなければならないと思った。康平と美樹子みたいに、男子と女子が言いあいになった場合、理屈もわからないのに男子に味方してしまう男子がいるからだ。
「うん、うん。人それぞれいろんな意見があるのはいいことだ。先生も康平の意見が正しいとは思わないが、康平がそうやって自分の気持ちを発表できることだとはいいことだと思うよ。そういう、人の心に触れるためにも道徳の勉強をしてるんだからね。それでは、感想文を後ろから集めてください。終わります」
 杉下はそうやってまとめた。
 感想文が前に送られ、日直が終業の号令をかける。
 杉下は、崩れたハンバーグをおとなしい女の子に押し付けたテレビの中の教室のゆがみを語りたかったが、それができなかったことを残念に思った。話したら、児童の目には杉下が美樹子をひいきしたように映るだろう。杉下はそれが怖かった。


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