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2001年09月13日(木) 友人は無事。〜「最期の夢」2〜

 友人からメールが来た。飛行機には乗っていなかった。出掛けだったようで、取り急ぎ「I am O.K.」というタイトルのメールを送ってくれた。とにかくほっとした。テロがテロを呼ぶというか、昨日も書いたが、暴力を制裁するために暴力をもってすればどうなるのか?心配だから、あの飛行機には乗っていないのを祈りつつ「気をつけて」と書いた。返事は、「今のところここは大丈夫」とあった。
  
  テロリスト側からの犯行声明などはないようだ。電車の乗客が広げる新聞の一面に「戦争勃発か?」の文字。テロに関与しているらしい人物の名前と、彼の関わったとみられる過去のテロのことがテレビのニュースで知らされる。新聞の朝刊ではテロをタリバン派とみた反タリバン派がアフガン内戦を激化させかねない爆撃を行ったと書かれている。不安が憶測を確信に変えて暴挙に出ないとも限らない。恐ろしい。
  
  友人の「今のところ」が気になる。ボストンで、テロに関係すると思われるレンタカーが見つかったという。不安は続く。安否のわからない邦人たちの名前と年齢がテロップで流れる。彼らの肉親、友人たちの不安はこんなものじゃない。実際、そこにいた人の不安も続くだろう。テロップでは流れない、多くの行方不明の人がいる。ほっとした上に不安な私どころではない。

 

  私はここのところ、気分がすぐれなかった。体調が悪かったこともあるが、とにかく落ち込んでいて、気分がふさいで、そんな自分が情なくて。でも、こういう事件がおきると気持ちが二つの方向に行く。とにかく生きている。私はまだ生かされている。落ち込んでる場合じゃない、っていうか、落ち込む余裕があるってこと。もしかして、充分仕合せってこと?もう一つは、私は家族や自分自身を守れるのだろうか。そのくらい強くはないんじゃないか?あ、段々不安になってきた。もしもの時に私はちゃんと私の役目を果たせるだろうか。
 何事もない基本的に平和な社会生活の中で、私にとって重要な問題も、こんな大きな問題が起きると、すごくちっぽけなことなのに。仕合せなはずなのに、悩みにひっかかってるなんて、恥ずかしい。で、また落ち込む・・・。あかんやん!!

  「人は過去を哀しむべきなのだろうか
   それとも忘れ去るべきなのだろうか
   しあわせや不幸せなんて 自分で決めたら良いものなのに」

 どんな宗教を信じているのか、どんな思想をもっているのか、民族がどうだとか、かたくなに固執するのは、勝手だ。だけど、それを人に押し付けたり、それが叶わないと暴力で手に入れようとしたり、力で主張したりして、命を奪うなんてどうかしている。本来、宗教や思想は誰かを救ったり、できるだけたくさんの幸福を目指したりして生まれた物じゃないのですか。テロの実行犯も死んでるし。そんなのどうかしている。どこかで間違っている。操っている人物は、本当にテロで仕合せになれると考えているの?

 「やがて時が来て もしも この人生の最期に
  たった一つだけ過ちを 償わせてくれるというなら
  私はなにを償いたいと願うのだろうか
  もしもその事で誰かの心が救われるとしたら」

 失われた命は帰らない。だけど、残された人は、生き続けなければいけない。テロなんて卑劣な事をやってのける人々は、こんな事を考えたりはしないんだろうか。償いなんて、考えたりしないんだろうか。それとも失われた自分たちの何かの償いを求めて、間違えて報復しているのだろうか。

 この歌自体は、きわめて個人のための歌だと思う。普段は自分に言い聞かせる。「しあわせや不幸せなんて自分で決めたらいいもの」なんだからって。自分で励ます。そして戒める。大きな過ちをしませんようにって。そういう歌なんだけど、そして、昨日書いた友人が無事ですと、書いておかなければ、と思っただけなんだけど、恐怖と憤りが交錯してなんだかわけのわからないことを書いているかもしれない。


もっちゃん |M@IL( ^-^)_ヲタ""日常こんな劇場( ^-^)_旦""

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