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2001年09月22日(土) 新派なども見てみる。「滝の白糸」

 新派の「滝の白糸」を観てきた。初代水谷八重子の23回忌追善公演の千秋楽であった。そういうこともあるのかもしれないが、なんだか胸にしみいるものがあった。多分、基本的に新派って嫌いじゃないんだと思う。どっちかっていうと、好きなのかもしれない。ま、作品も泉鏡花だし。好きな「世界」なんだろうな。うん。

 実は、国立劇場で平成12年3月に「滝の白糸」が公演された。私は観に行っていたのだ。「滝の白糸」は、明治27年に泉鏡花が発表した「義血侠血」を翌年川上音二郎が初演したのがはじまりの不朽の名作、ということであるらしい。私は、鏡花の世界が好きだとはいえ、元来ずぼらなもんで、鏡花の物語を読破したりしていないんだけれど・・・。その際は、読みました。「義血侠血」。「義血侠血」はこう始まる。「越中高岡より倶梨伽羅下(くりからとうげじた)の建場(たてば)なる石動(いするぎ)まで、四里八町(よりはっちょう)が間を定時発の乗り合い馬車あり。」ルビがないと、全然読めない!!でも、音読すると、この流れのよさは結構気持ちいい。物語は人情にあふれる世話物でありながら、無情に切ない現実を終焉とするのだが。あらすじに関しては、別のページに書いてみましょう。

平成12年、欣弥は坂東八十助(当時)だった。彼の欣弥は、その潔々しいまでの正義感と、心中に秘めたる、熱血を押さえた演技であった。丁度私は、同じ鏡花の「海神別荘」を観ていて、それは、魑魅魍魎の世界の方が人間界よりはるかに美しい、人間の心のあさましさの中では、本当の美しいものはそのままではいられない。と、海の御殿で仕合せに暮らしていく姫の姿を描いたもので、よく上演される「天守物語」の男女逆、天上から海中へ、という、鏡花の一つの「世界」である。つくりもファンタジックである。(これも、原作を読んでから観たのだが、よくぞ再現したね、玉三郎さん、王子に新之助、抜擢したね。と、見ものでした)初見では、そちらの「世界」に引き込まれ、新派は新派やね、なんて感想を持ってしまったのだけど、よく見ると、その八十助の押さえた演技が、あぁ、これも鏡花の「世界」だ、と感じさせた。心中流行りの時代のものが歌舞伎にもたくさんある。それを推奨しようとは、微塵も思わないが、鏡花の「世界」として、対極にあるような異なる二つの作品の中にも、鏡花は「この世では結ばれなかった二人」「純粋で侠気にあふれる二人には」天上しかなかったのではないか?という風に考えると、共通した、鏡花の視点が見えてくるような気がしたのだ。

今回、欣弥は、関西歌舞伎界の期待の若手、片岡愛之助が演じたが、彼の欣弥は、若々しく、瑞々しく、正義感に溢れ、力強かった。八十助の抑えた演技では、「人ではない世界でしか、本物の愛は結ばれない」という「世界」が強く感じられたが、今回は人間味が強く感じられたかもしれない。現実的というか。見ていて、あの出刃打ちの寅が、100円さえ盗まなければ、歯車は別の方へと回らなかったのに。しかも、それが、最後の送金だったのに、と惜しんでしまった。だからといって、欣弥が、自分を同罪と自害する事を「それはあかんで」と思うほどにはリアルではない。リアルではないというよりも、それが鏡花の「世界」なのだと理解できると言い換えた方がいいだろうか。でも、この3年は、何だったんだろう、という思いが、悔しさが増した。それは、「鏡花の世界」を描くに当たって、愛之助さんがやることによって新たな欣弥だと、OKで、いいのかな。
いずれにしても、「母」志向の強い鏡花の思いは、更に強く感じた。(初代の23回忌ということもあるのかもしれないが)

ラスト、雪がしんしん降っている中、あの出会いの、馬の早や駆け、飛ぶように走る二人の思い出の音で終わる演出そのものに、幻想性より、現実的な世界の追求をみたのかもしれない。(平成12年の上演時にも逢ったのではないかと思うのだが、私には、しんしんと雪が降るシーンまでしか思い出せないのだ。馬のいななきなど聞こえなかった。)

たまには新派もいいもんです。水芸のシーンはもちろん本水使い。前回は確認できないのだが、今回の奇術指導はMr.マリックだった。これが一番驚いた事だったりして・・・。


もっちゃん |M@IL( ^-^)_ヲタ""日常こんな劇場( ^-^)_旦""

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