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2001年12月09日(日) 「こんにちは、母さん」@舞台中継をテレビ鑑賞

なにげなく、NHK総合をつけたら、丁度、永井愛作・演出の「こんにちは、母さん」が、始まって10数分のところだった。新国立劇場小劇場で今年3月に公演されたものだ。こんなに豪華な俳優陣で、しっかりしたお芝居を、5000円代で、観られるなんて、なんて贅沢なんだろう。終ってみてそう思った。

 加藤治子さんが、70代の母親役で、出演されていた。私は江戸の人ではないので、本物の江戸弁は、きっとわからないんだろうけど、多少、お江戸が舞台の歌舞伎も観ているので、加藤さんの、きっぷのいい、流れのいい、語尾の切れのいい、江戸弁の「母さん」を、カッコいいとおもった。音響設備も整っているのだろうが、御年おいくつになられるのか、加藤さんのかわいさと、こ気味のよさが、とても素敵だった。
 
 2年ぶりに、息子が帰ってくると、そこは、外国人留学生の下宿屋斡旋、地域とのつながりなどを目指したボランティアの基点「ひなげしの会」事務所で、「母さん」は事務長。母のルスに突然やってきた息子は、中国人留学生にこそドロと間違われる。しかも、その次現れた親父は、どうやら、「母さん」と恋仲のような雰囲気。この何とも、身の置き場のない、それでも生真面目な息子を平田満が好演していた。(この息子、折り合いの悪い父に母の所在を尋ねるのも嫌で、持ち出す財布により、母の行き場所の検討をつけてきて、今もそのクセが抜けないのだ。注:決してマザコンではないと思う。)

 足袋職人をしていた父親と気があわず、大学1年で下町の家を飛び出た息子は、もう40代。妻と息子がいるが、どうやら離婚カウントダウンと観客にも見て取れる。しかも、先の人事異動で、リストラを断行していく総務部人事部長に。とりあえず、辛い現実から逃げるように、しかしそれを語ることもなく、今は父も亡くなり「母さん」だけの家に帰ってきた、はずだった。

 「母さん」は、自分の見たこともない、カラフルな服装で、ボランティアにいそしみ、留学生の学ぶ姿に触発され無料の「源氏」の講座に出かけ、講師である元大学教授「直ちゃん」(杉浦直樹)と恋をする。まわりには、同級生が煎餅屋の女房におさまったものの、息子が蒸発した女性。突然やってきた、元ヒッピーのスウェーデン人の夫にこれまた蒸発された女(田岡美也子)。そして、ついに、平田のリストラを根にもった同期が突然押しかける。「悪魔」とまでののしられる。その男に同情する、田岡。

 「母さん」は、はじめて「直ちゃん」の家に行ったが、下町と山手では暮らしが合わず、随分恥ずかしかった。それを「直ちゃん」が、かばってくれなかったのが、悲しい、もうやめようと言い出す。それから1ヶ月。息子はついに荷物を増やして家に帰る。「ここに住む」と決めた。同じ日「直ちゃん」も結婚するからと長男夫婦を説得できずに家を出てくる。不思議な3人の同居生活が始まる。
 父の遺品の中で、リサイクルできるものがあれば、と、人手を借りて、留学生にひきとってもらった。その中に、戦争中使っていたと思われる飯盒が出てきた。まぎれてはいってしまったものだけれど、中国からの留学生の心の傷に触れるからと返却される。「直ちゃん」の息子は一度も顔も見せない。妻が義父に協力している。そしていずれ自分も離婚すると決意したと言う。


 父との大きなすれ違いは、小6の頃トイレの柱にビートルズの絵を落書きしたことだ。「直ちゃん」は自分も息子のEP盤を全て取り上げてしまった、後悔していると言う。遺品の一部のカセットテープにビートルズが入っていた。「直ちゃん」は君の父親も君を理解し様としていたんじゃないだろうか、と言う。あの日叱った事を後悔しつづけているんじゃないか、と。しかし、「直ちゃん」は、自分の息子にそのことを謝る勇気はまだ持てなかった。その「直ちゃんが」これからという引越しの終わりに、階段で足を滑らして(?)死んでしまう。「直ちゃん」の息子は葬式でも無視だった。きっと49日の法要の知らせも来ないに違いない。息子が帰ると、「母さん」は、ごはんはいらない、と一升瓶から酒を注ぐ。

 息子の帰宅前、訪問者があった。それは、リストラした同期。外部労組に入り、裁判を起し、解雇取り消し、退職金は支払われ、仕事も今の経験を生かせるところを斡旋してもらえた。総て「悪魔」呼ばわりしていた、息子のお陰だと言う。会社は絶対に謝らない。彼が個人で彼に、謝罪の手紙を書いたのだ。帰り際、男は、息子に「妻にも手紙を見せたよ」と爽やかに去っていく。

 「母さん」は、飲みながら言う。「これは神様が試してるんだ」東京大空襲で、自分ひとり家族の中で生き残った時のことからはじまりる。この物語は、ある意味、雑然としている。下町の家。セットは変わらない。しかし、そこでの3ヶ月。国際ボランティア。近所の老人と毎日交替で「生きてますか?」と電話しあう習慣。70代の恋。壮年期のリストラ。大切な人の蒸発、戦争の傷跡。二組の夫婦の離婚の危機。そして、「直ちゃん」の死。素材がありあまるほどである。焦点はどこなのか?どこかカットできないのか?(3時間近くの芝居なので)でも、本題は、ここからなのではないかと思った。そのための、日常の人物の断片が、ある心地よい流れで、生活があるように、組みたてられているのではないか。

 「母さん」と息子は、2人で一升瓶の取り合いをしながら、まるで、不幸自慢を始める。母の、老いていく動けなくなる日が、近づく恐さの中の希望、それが「直ちゃん」だった。それがなくなった。息子は言う。「それは、いずれボクにも訪れる。母さん特有の不幸を言ってもらわないと。ボクは、今日会社から退職を勧められた。(あの男のリストラの方法がうまくなかったからだ)そして、離婚届にもハンコを押した。僕の方が不幸みたいだ。僕の年で、母さんこのくらい不幸だった?」もう笑いながら言っている。「僕の勝ちだね。」「何言ってるの、今ので、母さんの不幸は2倍になったわ。」でも、母は言う。「直ちゃん、喜んでるわ。自分のできないことをしてくれて、父さんも誇りに思ってる」

 その中で、ビートルズの落書きの日、彼は父にぼこぼこにされた話をやっと語る。母は「謝りなさい」と繰り返した。息子にとってショックだったのは、恐かったのは、父の怒りでも、暴力でもなかった。「最初、僕の絵を見たとき母さんは褒めてくれた。父さんの前でも褒めてくれると、父の帰りをワクワクして待った。父が怒った時。母さんは、父さんを恐れてばかりいた。ぼくは、本当に困った時に、母さんが僕を助けてくれない事がわかってショックを受けたんだ。母さんが信じられなくなった事が怖かったんだ。

 初めて、息子の本音を聞いた母。必死で息子を探し、見つけ、その夜、夫は、何度もうなされた。そして、階下の鏡の前でじっとしていた。表の車で鏡が光って、夫の形相が浮かんだとき、声がかけられなかった、恐ろしくて。その時妻は思った。この人は人を殺した事がある。戦争に行ってたんだから当り前だと思っていたが、本当の意味でそう実感した。しかも、子供を・・・。昔は子供好きの男だった。ところが、戦争から帰ってから、自分の子供に対してもどう接していいか分からないような態度だった。

 「あの時、母さんが聞けばよかったんだ。」息子は答える。「聞いたって答えやしないよ。」「それでも、聞いてみればよかった。」「聞いて聞いて、聞きつづければ、あるいはいつか・・・」。「言わない、ということは、受け入れてもらえないと思うからだ。言っても誰も聞いてくれないと思うからだ。聞かない、ということもそういうことだ。私は、受け入れるのが恐かった。あの時、聞いていれば・・・。」
 作者のポイントは作者にしかわからない。でも、一見不必要とも思える挿話や、人物の出来事を考えると、すべて、この母の幕まであと10数分というこのセリフの重みが、ずっしりと心に沈む。

 隅田川の花火がどーん、どーんと音を響かせる。この日は、本人は忘れているが、息子の誕生日だった。2階へ誘う母。いいよ、と断る息子に、母は、「偉かったね」と言い、ベランダに上がり、花火を見ながら、「私はこの2階でお前を産んだ。花火が、世界が祝福してくれていると思ったよ。」清々しい「母さん」の顔が花火に照らされるのだった。そして、この日から、母子の対峙が本当に始まるのかもしれない。

 私としては、私がはじめて芝居を見出した頃の貧乏で、年に数度も見れない頃観ていた、平田満さん、田岡美也子さんが、相変わらず、素晴らしい芝居をされてるのが嬉しかった。そして、今、色んな芝居が増えているけれど、「本当に言いたいこと」のための世界の設定、人物の一見無駄とも思える描写のもつ、屋台骨を支える力みたいなものを感じた。そして、悲しい場面で笑ってしまうというか、永井さんのたくさんある「笑いどころ」の入れ方が、本当の日常でありえそうなところが、うまいと思った。(其れはそれでアリなのだけど、ナンセンスとかブラックとかシュールとか、そうではない世界?)

 今日は、本当に長くなってしまいました。最後まで読んでくれたかた、本当にありがとう。


もっちゃん |M@IL( ^-^)_ヲタ""日常こんな劇場( ^-^)_旦""

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