解放区

2014年02月15日(土) 台湾旅行の思い出其の二。

初めて台湾に行った時は、まだ台湾は戒厳令下だった。

「絶対に、共産党の話とあのハゲ(蒋介石のことで、台湾人はみな彼のことを「あのハゲ」と言う。名前も口にしたくないらしい)の悪口は言うな」
と台湾渡航前にいろんな人に言われていたが、小学生がそんな類の話をするはずもなかったので、実際のところはあまり自分とは関係ないかと思っていた。

ただ、実際に台北市内を車で移動していると「反共」とか「打倒共産党」みたいなスローガンが壁に描かれていたりして、ああ国民党の支配する島に来たのだなあという感慨に耽った。

とはいえ、実際に軍隊が街角に立っている、というわけでもなく、人々は平和に生活を過ごしていたのだ。そして国民党と共産党の戦争が実質終了して長い間が経ち有名無実化していた戒厳令は、私が台湾に渡った翌年に解除された。


ただし、祖父母からは強く言われていた。
「絶対に一人で外を出歩くな」と。
「日本と違って、悪いことを考えている人がたくさんいるからな。それに日本人だと分かると何されるかわからんぞ」
と言われていたが、そんなに治安が悪いのかな、くらいにしか思っていなかった節があった。ただし、小学生の自分にも、台湾は以前は日本の一部であったこと、日本が占領していたことに快く思っていない人がいるだろうと言うことは容易に理解できた。


そんなある日。祖父母は祖父の弟とどこかへ出かけており、私は一人家の軒先でのんびりと西瓜の種を噛んでいた。空はどこまでも蒼く澄み渡っており、通りの向こうの方では自分よりも少しだけ幼い子供たちが知らない遊びを楽しんでいた。

ふと、どこかに出かけたくなった。といっても、ほんのすぐそこまで。さすがに父祖の地とはいえ異国の地であり、祖父母の言葉も頭の片隅に残っていた。

ふらふらと家の前の通りを歩き始めた。路地を歩き、次の辻で右に曲がった。通りはたちまち開けて、人の通りもそこそこあった。なんだか自由になったような気がしたが、僅かな不安もそこに付随していた。

もう少しだけ歩いたら、分からなくなる前に帰ろう。

そう思ったその時、前から歩いてきた50歳くらいの男性に突然呼びとめられた。

彼は地図を広げて、私に何かを尋ねている。時折黙りこみ、そして私の顔を見てまた何やら尋ねてくる。おそらくだれかの家を探しているのではないか。さすがに言葉のわからない私もそれくらいは理解できた。

しかし、これはあくまで単なる想像である。正直なところ、彼が何を言っているのか全く分からなかった。北京語なのか台湾語なのかもわからない。

それ以上に、そのシチュエーションに私は戦慄した。小学生の自分にはどうすればいいのか皆目わからないのだ。

とりあえず、一緒に考え込むふりをして、ほんの僅かだけ時間を稼いだ。ほんの僅かだけ。そして決断の時は近付いていたのだ。

日本人であることはばれてはならない、もしかするとこの人は、私が日本人であると知るとたちまち豹変するかもしれないし怖い思いをするかもしれない、どうしよう、両手を広げて耳が聞こえないふりをしようか、あるいは全力でここから逃げ出そうかでも自分の脚力だったら追いつかれるに違いない、大声で叫ぼうかでも全く逆効果な気がするどうしようどうしようどうしよう一人で外に出てごめんなさい…。

パニックに陥ってしまった私は、自分でも意外な行動に出てしまった。

「わ、わかりませんっ!」

と日本語で叫んでしまったのだ。

私に道を尋ねた彼は一瞬絶句し、次の瞬間に爆笑した。

「あはは、そうかわからんか。そりゃあわからんわな! すまんかったな坊主!」

と、彼は驚くほど流暢な日本語を使い、にこにこと笑いながら私の頭をぽんぽんと叩いた。

そして、にっこり笑い手を挙げながら、彼は去って行った。

ほんの少しの時間の出来事だったにもかかわらず、私には物凄く長い時間が流れていたような気がした。そして、気が付くとびっしりと冷や汗をかいていた。


日本の支配が終わって約40年が経っていたが、あの時代にはまだ日本人として生まれて日本語で教育を受けた方がたくさんいたのだ。



私の名を呼ぶ声でふと我に返った。振り向くと、おばさん(祖父の弟の妻)が驚いたような安心したようなそして少し怒ったような顔をして私の元に近寄って来た。



#実際は、祖父が考えていた以上に台湾の人は親日であった。このことに驚いた私は、台湾に行った時にいろんな人に理由を尋ねたが、みな同じことを言った。

日本人は学校を作ったり病院を作ったり良いことをたくさんしたが、その後に来たあのハゲはそれらを破壊した。ハゲが来てから新しくできた学校はない。私たちは国民党が来た時は、祖国に帰れるのだと一瞬期待したが、彼らは祖国でも何でもなく単なる破壊者だった。だから台湾人はあのハゲが大嫌いなのだと。冷静に考えると、日本時代が台湾人にとって一番いい時代だったと。

日本のあとに「さらにひどい存在が為政者としてやってきた」ので日本を過大評価しているのかとも思ったが、そもそも日本のことはひどい存在としてとらえてられなかったのが意外だった。

歴史を冷静に評価すると全くそうなのだが、世の中には冷静に考えられない人(集団と言ってもいいのか)はたくさんいるのに、台湾の方々は理知的だなあと感動したのを覚えている。


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