案内された部屋は8畳くらいの大きさの和室で、先客の荷物は部屋の端の方に遠慮がちに置かれていた。一人旅にしては結構な量の荷物で、バックパックの横には無造作に使いこまれた寝袋が転がっていた。
部屋を一通り見渡す。入口のドアには鍵もなく、これだとセキュリティーはないに等しいな、それもまたある意味沖縄っぽいよな、ということは貴重品は持って歩かないとな、などと考えながら、私も小さな荷物を対側に置いた。
相部屋になるといわれて、宿泊を断ることもできたはずだが、なぜだか私には全く抵抗がなかった。海外でドミトリーに泊まる貧乏旅行を経験していたからなのかもしれないが、もしここが東京や京都であれば違和感があっただろうとふと思った。そう考えると、沖縄という土地は、日本というよりはよりアジア的なのかもしれない。
不意に屋根裏に生き物の気配がして、私は思わず天井を睨んだ。
「あきさみよー、昼間には珍しいね。やーるー(ヤモリ)が昼から運動会してるさぁね」
と、宿の主人はにっと笑った。
「じゃあ、一泊四千円のところを、半額の二千円で、先払いでお願いしましょうね。食事は付かないので、またあとで近くの食堂を教えようね」
「随分と安いですね。それじゃあ商売にならないんじゃないですか」
「あい、儲けなんて考えていたらこんな仕事しないよ。まあ、死なない程度に食べていけたらそれでいいわけ。お客さんが来なくなったら海に潜ればいいさぁね」
少し時間があるので、宿を出て外を歩く。
潮の香りに誘われるままに58号線を越えるとすぐにビーチが広がっていた。波打ち際で水と戯れる子供や、その近くでバーベキューを楽しむ大人たちがいる。やんばるの海は那覇で見た海よりもさらに青く透き通っている。
海を眺めていると、緊張がようやく解けたのか、はるばる南風原から原付を運転してきた疲れがどっと出て、私は砂浜に寝転んだ。シャツを通して感じる砂は日中に浴びた熱を発散している、その心地よい温度に、私はしばし微睡(まどろ)んだ。
もうすぐ夕方だというのに、沖縄の太陽はまだ高く私の身を焼いた。
気が付くともう夜だった。どれくらい眠ってしまったのだろうか、しかし時計で時間を確認する気にはならなかった。ゆっくりと起き上がって背中に付いた砂を叩き、私はここまで来た道を帰ることにした。
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