2014年03月07日(金) |
異国からの来客とかワクチンとか。 |
今日の仕事は、日本語も英語も話せない親子がやって来たところから始まった。
看護婦さんが身振り手振りで得た情報によると、連れてきた1歳の子供が鼻水が出るようになったとのこと。それ以上の情報は得られなかった。とりあえず院内で測定した体温は平熱だった。
さて、てめえが診察前に得た情報は、いつからかわからないけど鼻水で苦しんでいるということ、今現在発熱はないということ。そして、日本語も英語も通じないということ。
まあ、深く考えても仕方ないよね、言葉がわからんというだけ(!)で、あとは同じにんげんだもの。苦しんでいることに対する処置を求めて来られているわけなので、てめえはあまり深く考えずに一家を呼び入れた。
お母さんと、1歳児。子供は見るからに鼻水に塗れている。ああこれは可哀想だなあ。でも熱がなければ、診察で異常なければ風邪だろうね。などと考えながらてめえはお母さんに"What's wrong with him?"と聞いてみた。曖昧に笑う母。あきさみよー。
そこからは身振り手振りでてめえ劇場が開演した。鼻水のジェスチャーをする、イエス。咳き込むジェスチャー、イエス。吐くジェスチャー、イエス。下痢のジェスチャー(恥ずかしー)、ノー。おなか痛がる? ノー。ご飯食べてる? ちょっと。夜寝てる? ノー。鼻水が多くて…。と、徐々にコミュニケーションがとれるような心が通じるような気がしてきた。だってにんげんだもの。
不意に診察室の扉が開いた。ノックもなしに入って来た男性は、家族の表情や流れからすると父親だろう。てめえはあらためて挨拶をした。てめえはドクター○○です、この子のことについて教えていただけますか?
てめえの拙い英語を、彼は何とか理解してくれたようだ。堰を切るように片言の英語で彼はてめえに訴えた。月曜日から鼻水が酷いこと。昨日は嘔吐したが、どちらかというと咳き込んでもどしたということ。今まで大きな病気はしたことはなく、入院歴もなくアレルギーも喘息もないこと。日本に来たのは去年の末であることなど。
これだけの情報があれが十分で、てめえは診察を始めた。まずは胸部の聴診から入るが、心音は雑音もなく、肺の音もきれい。おなかも柔らかく、音も元気。
両耳を見る。大人と違って、子供の場合中耳炎が潜んでいることが多いのでルーチンで耳は診る。鼓膜は発赤しておらず、異常なし。喉も見たが腫れていなかった。頚部リンパ節は腫脹も圧痛もない。
これは風邪ですよ、怖い病気はありません、薬飲んで寝ていれば治りますよと拙い英語に笑顔を加えて説明すると、父親は安どの表情を浮かべて母国語で妻に説明した。
"Any question?"とてめえは診察を終えようとしたら、父親がカバンから書類を出してきて「これはこの子が母国で受けてきたワクチンの書類だ。今後のワクチンスケジュールについて教えてほしい」と尋ねてきた。
正直、非常に驚いた。貴重品を出すようにワクチンの接種記録を出す父親の姿は、日本では見たことがない。日本でワクチンの仕事をしていれば「副作用が云々」などのネガティブな質問ばかりで、中には「危ないワクチンは受けさせません!」とどや顔で訴える親もいるというのに。
結論から言うと、ワクチンは無条件で打った方がよい。ワクチンでどれだけの子供の命が救われてきたことか。自分としては、過激な言い方をするとワクチンを打たない親は児童虐待レベルだと思う。
ワクチンに関しては、医療従事者であれば皆知っている歴史がある。「百日咳」である。
百日咳ワクチンが含まれる「三種混合ワクチン」が、副作用が出るということでいったん中止されたことがあった。中止したとたん、百日咳患者が激増したのだ(のちにワクチン接種再開)。
その時に接種しなかった世代の人は、現在も百日咳に罹って苦しむ人がいる。その歴史から学ぶべきことは、ワクチンの副作用を恐れてワクチン接種をしないと、より悲惨なことになるということ。数万人に一人の副作用を恐れて数千人が命を落としたら全く意味がない。副作用の起こった一人はもちろんつらいことだが、副作用のない医療はない。
日本は非常に恵まれている。ワクチンも十分な量が準備されており、行政の案内するままにワクチンを打っていると、大きな病気にもなることはなく子供は育っていく。そんな中で小さな副作用が大きな記事になる。
そもそもワクチンが打てない子供が世界中にどれくらいたくさんいるかということを、君たちは知っているのかと叫びたくなる。ワクチンは人類の財産そのものなのに。
というわけで、父親から受け取った書類を基に今後のワクチンスケジュールを立てた。母国にはないワクチンもあるし、接種スケジュールの異なるものもあり、間違いがないように調べてスケジュールを組んだ。
「風邪が治ってからやで。そしたらワクチンを再開しようね」と、てめえは拙い英語で父親に説明した。彼はにっこり笑って「アリガト」と拙い日本語で応えて帰って行った。
気が付くと、この件だけで30分以上対応している。通常は一人に30分以上使うことはない。そうこうしているうちにも待合室はどんどんと込み合っており、看護婦さんは「いやあ疲れましたね」と苦笑いした。「ほんま、一日分のエネルギー使ってしまったわ」と、てめえは答えたが、疲労以上の充実感が勝った。
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