毎日午後からは組織学の実習である。
組織学とは何をするのかというと、人間のいろんな器官の組織のプレパラートをひたすら見て、それをスケッチしていくのである(ちなみに今日は男性生殖器であった)。したがって、実習中はひたすら孤独である。
と、言うほどのものでもないのだが、ふと実習しながら音楽を聴くのもいいのではないかと思い、今日はMDウォークマンを持参して実習に臨んだ。
家から適当にMDを持ち出してきて、それを聴きながら実習していたのだが、これがすこぶる調子がいい。気持ちよくスケッチを続けていると、イヤフォンからaikoの「カブトムシ」が流れた。
どうもこの曲を聞くと一年前に過ごした風景を思い出してしまう。
この一年間で、てめえの周りの風景はずいぶんと変化した。一年前、てめえは学生ではなく植木屋のしがないアルバイトであり、日々持ち歩いていたのも携帯電話ではなく、もはや絶滅しかけているポケベルであった。
植木屋の仕事は過酷であった。まあ、楽な仕事ってのもそうそうないとは思う。剪定となると、高さが優に10mを超えるであろう木にも登って、命綱だけを頼りに枝を落としていく。そうして、雑然とした木が見事に整えられていくのだ。
てめえらのような下っ端は、ひたすら落ちてきた枝を拾ってトラックに積んでいく。枝といっても、大きなものはもうそれだけで「木」である。
一応ヘルメットをかぶってはいるのだが、当たると衝撃で腰が砕けそうになる。大きくて運べないときは、すぐにのこぎりで運べる大きさに切ってやるのだ。ぐずぐずしているとすぐに親方の怒号が飛ぶので、枝を切ると両手いっぱいに抱えてすぐにトラックへと走らなければならない。
汗は滝のように噴き出て、降りそそぐ木の粉は体中にまとわりついてくる。持参する2リットルの麦茶はすぐになくなってしまう。毎日がこれの繰り返しであった。
そんなある日、いつものように現場に行くと 「おい、木、登ってみるか」 と親方に言い渡された。
驚いたが、この世界では親方の言葉は絶対である。 返事を聞く前に、親方はてめえに新品ののこぎりと命綱を渡した。 いいのかバイトにそんなことさせて? しかし親方の命令は絶対なのだ。 そうしててめえは剪定技術を学ぶ事になった。
てめえが親方に選ばれた理由は、おそらくバイトのくせに、まるで職人であるがごとく足袋を履き、手甲を絞めていたからであろう。まず形から入るのは基本だが、それが親方に認めてもらえたということだったようだ。
とにかく、まずは木に登らなければ始まらないので、慣れない手つきではしごを木に立て掛けた。
登ってみると、上から感じる高さは思っていたよりも全然高かった。おまけに登ったときに加わった力で、木全体が少しゆらゆらと揺れている。で、頼り甲斐のありそうな枝に足をのせたが、体重をかけたら折れそうだ。
ここでびびったらおしまいである。 思い切って上のほうにある枝をつかみ、体重をかけた。 そうしている間、親方が下からてめえをじっと見ていた。
さて、どの枝を落とせばいいのだろう。 これがまるで分からない。 登る前に親方から簡単なレクチャーを受け、大体の目安をつけて登ったつもりだったのだが、実際に中から見てみるとどの枝を切るつもりだったのかまるで分からないのである。
「はよ切ってまえ!」 下から親方の怒号が飛ぶ。
それからは無我夢中であった。 気がつくと隣に親方が登ってきており、怒鳴られながら剪定をした。 ぼろくそに怒鳴られたのは理不尽だと思ったが、職人になれたような嬉しさがそれに勝った。
植木屋では、いろんなことがあった。
最初に剪定をしたプラタナスの枝は、とても素直にのこぎりを受け入れてくれた。
楠は、枝を切ったときになんとも言えないいい香りがして、本気で惚れてしまった。
イチョウを剪定したときは、こっそり銀杏をポケットに詰め込んであとで異臭に悩まされた。
現場には、親方とは別に他の会社から来ている現場監督がいるのだが、監督には真剣に 「おまえバイト辞めて職人目指さへんか?」 と誘われた。彼はてめえが学生アルバイトだとは知らなかったらしい。 大変光栄であると思ったが、てめえが目指しているのは別の道なので丁重に断った。
隣の木で剪定をしていた職人の載っていた枝が作業中に根元から折れて、重傷を負われたこともあった。慌てて飛ぶように木から下りてその人のところに駆けつけたが、親方から 「もうすぐ救急車がくる。おまえは自分の仕事をしろ」 と言われた。再び木に登りながら震えていた。 もしかしたらてめえが剪定していたかもしれないのだ。 その方は腰の骨が砕けたらしいが、数ヶ月後に無事植木屋に戻ってきた。
他の造園会社に職人として派遣されたこともあった。 親方に、いいのですか? と聞いたら、頑張ってこいと励まされた。 その現場では、一人前の職人として礼を尽くされた。 まさか「実はバイトです」なんて言えるわけがない。 この場を借りて謝っておこう。
すみません。実はしがないバイトでした。
ただ、要求された仕事だけは、きちんとこなしたつもりである。 その会社には、それからもたびたび手伝いに行った。
そのような植木屋の日々を送っていたとき よくラジオから流れていたのが「カブトムシ」だった。 休憩しているときや昼飯を食べているとき。 また剪定の合間にコンビニでトイレを借りたときなど。 そういった風景が、この曲を聞くたびに昨日のことのようによみがえってくる。
朝になると、今日こそ辞めてやると思い 昼には次の木をどう剪定しようかと考えを巡らし 夕方には仕事を無事終えた充実感でいっぱいだった。
親方は何を思っておれに剪定技術を教え込んだのかは知らないが 「プロ意識」だけは確実に学んだように思う。 それが何であるかは、うまくは説明できないのであるが。
今年の春にあった平等院の庭園工事を最後に、てめえは植木屋を辞めてまた学生に戻った。 いろんな植木屋から選ばれた平等院工事のメンバーの末席に加えて頂いたのは、てめえの一生の誇りである。
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