解放区

2014年05月20日(火) 腹を括ったことについて。

祖母のことについて、どんどん話が進んでいる。

もしも亡くなった場合のことについては、ほぼ話がついた。てめえの家の近くの寺で祖父共々永代供養していらうことになった。

仏壇は小さなものを買い直し、てめえの家に移す。

その後、てめえの実家を売り飛ばす。実家の名義は、父と叔母と祖母である。父と母に確認したら、おそらくそれぞれ1/3ではないかとのこと。実際にローンを細々と払っていたのは父なのだが、金銭的な問題で揉めるつもりはないので、売れたらその配分に従おうと思う。

いろんな人から、金銭的なことはちゃんとしておいた方がよいと散々言われた。でもてめえはもうどうでもよい。お金にこだわる人生はもう送りたくない。

今までの人生で悟ったこと。お金で解決する問題は、正直なんとでもなるのだ。本当に大切なことはお金では解決しない。

そう、解決しないのだ。子供の親権も解決しないし、愛する人の心もお金では買えない。そういう意味では、お金で解決することというのはどうでも良いことのことが多く、解決できるのであれば解決した方がよいのだ。わずかな取り分を争うことに意味があるとは思えない。


今日は母に色々と相談した。母は祖母に色んな思いがあるらしく、途中から話にならなかった。

ただ「あの家に植えた木の一つに思い入れがあるので、それだけは植え替えたい」と言った。

母は祖父との確執があったが、祖母とはなかった。途中から話にならなかったのは「祖母に申し訳ない」という気持ちかららしい。

「じゃあ一度一緒に見舞いにいこうや」とてめえは母を誘ったが、それは拒否された。生きているうちに会っておかないと、その後に後悔するかもしらんよ、とてめえは言ったが、どの面下げて会えるのか、しかも痩せ細った祖母に、申し訳なくて会えないと母は言った。


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